夜が来た。
全てが静寂な闇に包まれた、この時が。
今日程、夜を待ちわびた事はないのかもしれない。
手を見てみる。
少し開いてみた。
力が溢れているのが、体中に感じられた。
無理も無い。
今宵は新月。
月さえも浮かばない、完全なる夜の世界。
「完璧だな」
思わず自我自讃をしてしまう。だがそれは当然だろう。
今宵の私は完璧過ぎるほど完全だったのだ。
「……でさぁ、俺はどうしたらいいワケ?」
見えてはいないが、私の先程の発言と気配で察したのだろう。ビクトールが呆れた顔をし
て、私にこれから成すべき事を聞いてきた。
「ああ…。そのまま横になってくれていたらいい。今からお前の体に埋められた種子を探る
だけだからな」
「種子…って、この傷痕の所にあるんじゃねーの?」
「いや。種子は一旦体内に潜り込むと、自らの意思で自分が一番根を這わしやすい場所を
探り出し、移動をしてしまうからな。今日まで気配が感じられなかったのも、最適な隠れ場
所を見つけたからだろう」
「…何か気持ち悪いな。そんなのが、俺の体の中にいるワケ?」
不安そうな顔を見て、私は少し笑った。
「怖気ついたか?」
「別にっ」
そう言うが、やはり何処か不安があるのだろう。
暫く考えて、私は持ち歩いていた私本体を取り出した。
私の本体。つまり、人が名剣と褒め称える黒い真剣である。
人型である私は、空気中に漂う原子から構成されている。簡単に説明するならば、人型の
私は人間で言うところの幽体離脱をしているみたいなモノで、残された剣の方は私の抜け
殻みたいなモノだろうか。こう言うと、何やら虚しいものを感じるが。
人型になったといえ、本体は剣の方なので長い間離れていると、人型を保てなくなってし
まう。故に、私は常に本体を携帯していたのだった。周囲から見ると、素晴らしく美丈夫な
剣士に見えただろう。
とにかく私は本体の剣を取り出し、それをビクトールの手に渡した。
「…何?」
「お守り代りだ。持っていろ」
「効くのか?」
「当然の事を聞くな」
生意気な事ばかり言う口を捻ってやった。思ったよりよく伸びて面白い。
「いひゃいっへ」
「人の好意は有り難く受けとっておけ」
「人じゃないだろー」
解放された口を擦りながら、それでも私の本体をしっかりと持ったまま文句を言う。本体
から伝わるビクトールの体温が、私の方にも伝わってきた。
そういえば、ここ数日は剣すら持っていなかったからな。
何だか久し振りの感触が、くすぐったい。
「始めるぞ」
照れ隠しのように、私は唐突に作業に入った。こういった人間らしい感情は慣れなくて、
どうしたらいいのかわからないので困る。
静かにビクトールがベッドの上に横たわった。
それを確認すると私は目を閉じ、力を解放する。
夜よ。
夜に生きる全ての者よ。
我が声を聞け。
我が名に応え。
両手をゆっくりと前に突き出し、掌に力が集結されていく。
我が道を邪魔するモノを突き止めよ。
その姿、我が前に晒し出せ。
目を開いた。掌に青白い光が輝いている。
その光をゆっくりと、ビクトールの中に注いで行った。
光がビクトールの体に全て浸透していくと、素早くその体の上に印を結んで行く。
暫くして、微かな手応えを感じた。あきらかにビクトールのモノではない気配が感じられる。
隠れても無駄だ。私から逃げる事は不可能に近い。
体の中で蠢いているのだろうか、ビクトールが苦しそうに顔を歪める。
「……っはぁっ。星…辰け……」
苦しそうな声を上げられるが、もう少し我慢しろ。ここで逃すワケにはいかないのだ。
もう少しで……そう…掴める…。
「そこだっ」
捕まえた。
そう感じた時に、ビクトールの目が大きく見開かれると、声にならない叫び声を上げ、
上体が弓なりに反らされた。その瞬間。
ビクトールの左胸から夥しい出血と友に、見た事もない植物の触手が体内から突き破ら
れた。
「あああああああああああああああああああああああああっっっ!!!!!!!!!!!!」
「ビクトールっっ!!」
慌てて私は部屋の周囲に結界を貼った。この騒ぎを聞きつけて、善良なる人間達を巻き
込むワケにはいかない。
「かはぁ…っ」
吐き出すように、ビクトールは息をついた。だが頭の中は冷静なのだろう。自分の身に何
か起きている事を瞬時に理解したようだ。
「何…だよコレ……」
ビクトールが驚愕の目で、自分の体から突き出ている植物を睨み付けた。その動作を見て
私は違和感を感じた。
「ビクトール…。お前、目が……」
見えるのか?と聞こうとした時、植物が身悶えするのに気づいた。
それは異様な光景だった。
まるでそこだけが時間を進めたかのように、植物の成長が始まっている。
最初は只の葉しかつけていなかったソレが、やがて一輪の紅い花を咲かせた。毒々しいま
でに紅い、その花。おそらく、種子が見つけられたら成長するように仕組まれていたのだろう。
「……ネクロードめ…」
その声に反応したかのように花は震えると、そこから聞き覚えのある…二度と聞きたくな
かった声が発せられた。
「コこの花が咲イたという事は、種子が見つかってシマったという事ですかね、ネ」
ゾクリ、とした。
所々に雑音が入っているように聞こえるそれがあまりにも、地獄の奥底から届いているよ
うな声だったので。
真の紋章である私を一瞬とはいえ、そのような感情を与えられたという事に驚く。人は誰
かを呪う時、こんなにも恐ろしい存在になれるのだろうか。
「死しても尚、見苦しい存在だな…貴様は」
苦々しく悪態をついてやる。だが花は何の反応もなく、ただ声を発しているだけだった。
「はははハハハはははハ。呪い呪い呪い呪イ。素晴らしイですね。貴方ガタの恐怖、怖、フフ、
フ。これぞ最高のノノ芸術芸術」
おそらく、この花には意思など存在していないのだろう。喋らせているのは、ネクロードの
残留思念。それすらも自分が何を喋りたいのか理解出来ないでいるらしい。
「何々何々何々もでで出来ないのでスよ。このまま呪われ呪われ呪ワレて続けけけケケケ」
「煩いっ」
その癇に障る喋りを止めさせようと、手を伸ばし花を強く握り締めた。だが花の変わりに
痛みを訴えたのは、ビクトールであった。
「痛っ……何だよ一体っっ」
「ビクトール?」
慌てて花を解放する。すると楽になったのだろうか、少し安らいだ顔を見せた。
「…痛覚が繋がっているのか?」
「みたいだな…。畜生……目が見えるようになったと思ったら、次はコレかよ……」
少し涙目で、ネクロードの花を睨みつける。
やはりそうだったのか。
「視覚を解放したかわりに、痛覚を支配したか」
最後の悪足掻きだろう。そうすれば、種子を探り当てられたとしても、簡単に攻撃をする
事が出来なくなるからだ。
だがそれも、種子を破壊してしまえば全て解決される。
しかし問題は、その種子の場所だった。花が生えている位置は左胸の下の辺り。僅かに
心臓からずれている位置だ。一つ間違えれば、即死を免れない状況である。
そう考えている間も、花は喋りつづける。如何し様もない焦りが、体中を支配していく。
どうすればいい?
「…何考え込んでんだよ……お前」
か細いながらも、力強い声が聞こえた。見るとビクトールが、苦しいのを我慢しながらも
笑っていた。
ただじっとしているだけでも辛い状況だろうに、私を安心させるかのように笑っている。
「ようはさ…この煩い花をブッ潰したらいいんだろ……?」
そう言って、少し体を動かした。
何を。
何をするつもりなのだ。
僅かに動いた右手を見て、私はビクトールが何をしようとしているのか、瞬時に理解した。
「待てっっ」
「悪い元は根っこから叩けっ……てね」
そう言うと同時に、ビクトールは私が渡した本体の剣を花諸共、自分の胸に深く突き刺
した。制止の手が間に合わなかった。
本体を通じて、全ての感覚が私に伝わってくる。
ビクトールの狙いは少しのズレもなく、ネクロードが植え付けた呪いの種子を破壊した。
「ふ、ふふふフフハはははは……。潰したタタた?クハハハハはははは。もう遅い遅いイ。
死し死死ぬだけですよヨ」
壊れたおもちゃのように花は蠢き、狂った歓喜の声を上げる。
そしと大きく身悶えしたかと思うと動きを止め、砂のように崩れながら花は最後まで笑い
つづけて消えて行った。
だが私はそれには目もくれず、剣が突き刺さったままのビクトールに駆け寄った。
腕が良かったのだろう。心臓には当たらなかったが、他の器官がボロボロにやられてい
る。それは、剣で付けられた傷だけではなく、種子が這わせた根による被害も多かった。
私は無我夢中で、力を解放してそれらの傷を癒していく。だが、被害の凄まじさにビク
トールの体がついてこれない。
「この馬鹿がっっ。何て無茶な事をするのだっっ」
私の罵声が聞こえたのか、薄っすらと目をあけると、少し申し訳なさそうに笑って見せた。
「…だって…さ、あのまま、ネクロード…に…支配され続けているのって…さ……嫌だった
んだ…よ」
「だがっ…」
「それは…死ぬことよりも……辛い事なんだよ」
その言葉を聞いて、私は何も言えなくなった。
この男は、何て存在だろう。
何て、気高い生き物なのだろうか。
「…何…泣いてるんだ?」
血に染まったビクトールの手が、私の頬に触れた。ぬるっとした感触が伝わる。
「泣いてなどいない」
「嘘ばっか…」
また笑った。こんな時まで笑わなくても良いのに。
「…お前ってさ……結構良い男なんだな…」
「何当たり前の事を言っている」
「だって……初めて見たから…さ」
喋るのも、だんだん辛くなってきているのだろう。途切れ途切れの声が、徐々に聞こえに
くくなってきた。
「何…か寒い」
少し体を震わせて呟いた。激しい出血のせいで、体温が無くなってきているのだろう。
だが、元から体温を持たない私の体では、何の温もりも与えてやれない。
私はビクトールの体を強く抱きしめ、此の世に生を受けてから初めて何かに祈った。
神でも悪魔でも何でも良い。
私に力を貸してくれ。
死なせたくない。
死なせたくないのだ。
何て、激しい想いなのだろう。
真の紋章である身には不必要な想いだというのに。
だが、こんな感情も悪くない。
そう自嘲めいた笑いを浮かべて、私は持てる全ての力をビクトールに与えた。
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