それから暫くすると、女将が初老の男性を連れて戻ってきた。彼が、この村に住んでいる
 唯一の医者なのだろう。


「ふぅむ……。これは珍しい症状じゃな」
「何かわかったのか?」

 一通りの診察を終えた医者の呟きに、私は問うた。


「目立った外傷もないし、眼球にも傷が付いておらん。網膜剥離も起こしておらんし……。
 高熱のせいで視神経がやられた可能性もあるが、どうもソレとは違うような感じじゃな」
「と言うと…」
「どちらかと言えば、心因性に近いものがある。熱はその副作用じゃろう…。おそらくな」
「心因性…」
「どちらにしろ、もう暫く様子を見んことには何とも言えんよ。突然、見えるようになる事も
 あるしな」


 そう言って医者は帰って行った。女将も食堂の準備があると言うので部屋を出て行き
 部屋には私とビクトールだけが残された。
 突然部屋は静かになり、窓から心地良い風と村人の声が流れ込んでくる。


「何か心当たりはあるか?」
「へ?何が?」


 突然の質問に、ビクトールは首を傾げた。何を聞かれたのか、わからなかったのだろう。


「先程の医者の言葉だ。心因性に原因があるかもしれないと…」
「ああ…。俺も考えてみたんだけど、なーんにも思い当たらないんだよなー、これが」
「本当にか?」


 ビクトールの座っているベッドに私も腰を下ろして、至近距離で話をする。気配には気づ
 いているのだろうが、何も見えないために、こんなに顔が近づいているのに何の反応も
 返らない。


「本当だって。変わった事といえば、ネクロードの野郎をブッ倒した事ぐらいしかないし…。
 でもそれは嬉しい事で、目が見えなくなるなんて事には繋がらないと思うし……」
「長年追い求めていた宿敵を打ち倒した反動が来た…とも考えるな」
「そうかも知れない…。だったら暫く放っておけば治るのかな」


 そう言って笑った。何時もと変わらない、その笑顔。
 何故、笑えるのだろうか。
 視力を、一時的かもしれないが失ってしまったというのに。


「……どうして笑う?」
「星辰剣?」
「何故笑う。どうして、こんな状態になってまで、変わらないで…」
「星辰剣……もしかして泣いている?」
「誰が泣くかっっっっ」


 見当違いの言葉を聞いて、私は少し声を荒げてしまった。気の遠くなるような時を生きて
 きた私にとって、泣くという感情は持ち合わせていない。
 なのに何故、この男の言葉や行動一つ一つに反応してしまうのか。


「何だ、泣いていないのか。つまんねーの」


 そう言って笑ったかと思うと、ビクトールは真面目な顔をして私を見た。いや、正確には
 見えていない。ただ、目の前に私がいると感じているので、その方向を向いているだけだ。
 だがその目は、視力を失っているにも関わらず、依然と変わらない真っ直ぐな目だった。


「あのさ、星辰剣。俺だってさ不安だし、正直言って恐いよ。もしかしたら、一生このまま
 かもしれないんじゃないか…って気持ちに押しつぶされそうになる。だけどさ、ここで泣
 いて喚いてたら治るワケでもないじゃねーか。だったらさ、いつも通りにしていようって
 思ったんだよ」


 少し照れながら、一言一言ビクトールは言葉を紡ぐ。


「なーんて強がっているけどさ、正直一人だったらへこんでいたと思うよ。だから俺がいつ
 も通りに笑っているって言うんだったらさ、それは星辰剣のおかげだな」
「………?」
「俺がブッ倒れても助けてやんないって言っていたのにさ、ちゃんと人型になって側にいて
 くれているんだもんな」
「これはっ。これは緊急事態だし、下僕を失うのは私としても不便だと思ったから…」
「サンキュ…な」


 素直な感謝の言葉に、私は何も言えなかった。
 目が見えないからだろうか、何時もよりも正直に自分の心を伝えてくるビクトールを見て
 私も素直な言葉で返してやった。


「一生目が見えなくなったとしても、私が貴様の目の変わりをしてやるから有り難く思え」


 私の言葉にビクトールは一瞬驚いたが、やがて意地の悪い笑顔を見せた。


「一生面倒みてくれるワケ?」
「真の紋章である私にとって、貴様の一生ぐらい長い時間ではない」
「でも短くもないんだぜ?」
「いい暇つぶしになるからな」
「俺の人生を暇つぶしに使うなよ」


 そう言うと体を前に倒して、私の肩口に顔を埋めた。何も言わず、ただじっとしている。
 だから私も何も言わず、その姿勢のままじっとしていた。ビクトールが泣いていると、わ
 かったからだ。
 だからと言って、優しく抱きしめてやる事も、慰めの言葉もかける事もしない。この男の
 望んでいるモノは、そんなモノではない。


「盲目の傭兵…ってのも格好良いな」
「東の方の島国の剣豪は、目が見えなくても相手の気配だけで戦う事が出来るらしいぞ」
「へぇ…」
「まぁ、貴様では一生真似出来ない技術だろうがな」
「んなの、やってみねーとわかんねーだろっ」
「どうだか」


 淡々と、言葉を投げ合う。それはとても他愛のない事なのだが、それがとても大切に思えた。

 

 

 

 

 

 

 

←3へ
5へ→