「すまないっ。部屋は空いているだろうか?」


 勢い良く扉を開けると同時に、私はカウンターに座っていた中年の女性に大声で尋ねた。
 だが女性は口を開けたまま、目を見開いてこちらを凝視している。
 突然の客に驚いたのか、それともこの姿に驚いたのか。
 …おそらく両方だろうと、私は思った。
 何しろ突然やって来た客が、自分よりもサイズのでかい男を背負った、銀髪超絶美形の男
 性では、驚くなと言う方が無理だろう。
 私は一つ咳払いをすると、もう一度問いただした。


「すまないが、部屋は空いているだろうか」
「…あっ。部屋かい?ええ空いているけど。…けど、お連れさんどうかされたんですかぃ?」
「今朝、急に熱を出していて……おまけに、どうも目があまり見えていないみたいなんだ」
「それは大変っ。さぁ、部屋はこっちだよ」


 慌てて女性が案内してくれた部屋に入ると、一直線にベッドに駆け寄り、背負っていたビク
 トールをゆっくりと寝かせた。
 熱がよほど高いのだろう。自分が今、どんな状態にいるのか把握出来ていないようだ。
 今のうちに、医者を連れて来た方が良いだろう。
 私はそう考えると、側にいた女性に声をかけた。


「すまないが、この付近に医者はいるだろうか」
「ああ、この村の奥に一人住んでいるよ。今、地図を書いてあげるから待ってな」


 そう言って女性は部屋を出て、先程まで自分が座っていた入り口のカウンターに駆け寄る。
 私はもう一度、ベッドに寝ているビクトールを確認すると、急いで女性の元まで走り出した。
 カウンターに近づくと、既に地図が描きあがっていたらしく、一枚の紙片を渡してくれる。


「これ持って訪ねな。ライン亭の女将からの紹介だ、って言えば直ぐに見てくれるから」
「感謝する」
「いいって。困った時はお互い様だって言うじゃないか。でも、病人を一人にして大丈夫かい?
 何なら、私が行って来てやろうか?」
「いや…しかし、そこまで迷惑をかけるワケには…」


 そこまで言った時に、ビクトールのいる部屋から、何かが倒れる音と硝子が砕け散る音が
 聞こえた。


「ビクトール?」


 慌てて、先程の部屋まで走って戻り勢い良く扉を開くと、目に飛び込んできたのは、床に
 散らばっている硝子の破片と倒れているビクトールの姿だった。


「どうしたビクトールっ」


 硝子の破片に気を付けながら近づいて、ビクトールの体を急いで起こす。硝子の破片で
 切ったのだろう、腕に傷を負っていた。


「…誰だ?」
「私だ。星辰剣だ」
「……?星辰剣…って、だってこの体は…」


 自分を抱き抱えている腕を触って、ビクトールは不思議そうに尋ねる。そういえば人型に
 なった時、ビクトールは高熱から気を失っていたので、私の変化を知らないのだった。


「今は人型を取っているからな。まさか、剣の姿のまま宿屋に来るワケにもいくまい」
「宿屋?何で俺、そんな所に…?」
「覚えていないのか?貴様は熱を出して、恐らくその影響だとは思うのだが、視力が……」


 そこまで聞くと、ビクトールは一瞬体を強張らせ、そしてゆるりと右手を差し伸べて、私の
 顔に触れてきた。


「…星辰剣」
「何だ?」
「ここに、いるんだよなぁ」
「ああ、そうだ」
「けど……何も見えないんだ」
「………」


 私は思わずその右手を取り、強く握り返してしまった。微かだが、少し震えているように
 感じられるのは、気のせいではないのだろう。


「……すまない、女将」


 私は背後のドア付近に立っている女将の存在に気づいて、声をかけた。


「やはり側についていたいので、医者の方は…」
「わかっているよ。私が行ってくるから、アンタはその人の側についていてあげな。ついでに
 そこの硝子の破片も片付けてくれたら嬉しいけどね」
「了解した」


 そう答えると、女将は私に代わって医者を呼びに、宿の外へと出て行った。心の中でもう一
 度感謝の言葉を述べ、私はビクトールの体を軽々と担ぐと、その体を持ち上げ再びベッドの
 上に戻した。


「少し、じっとしていろ」


 子供をあやすように頭を軽く撫でて、私は床に散らばっている硝子の破片除去の作業にとり
 かかった。このままでは危なくて仕様がない。
 箒は…と周囲を見回したが、何処にあるのか見当らなかったので、溜息をつきつつ軽く気を
 集中して、一気に力を放つ。
 一陣の風が部屋の中で巻き起こると次の瞬間には、床に散らばっていた硝子の破片が一箇
 所に纏められいた。そしてそのまま風に持ち上げられて、部屋の片隅にある屑篭に入る。
 こんな事で力を使うのも、何か情けないが…。
 まぁ、緊急自体という事でよしとしよう。さて次は…


「ビクトール。腕を見せてもらうぞ」


 コイツの怪我の治療だな。


「見た目よりは浅い傷ばかりだから良かったものの…」


 血はもう止まっていたが、腕のあちらこちらに痛々しい切り傷がある。


「一体何をやっていのだ」
「いや…気がついたら何も見えないし、何処にいるのかもわかんなかったから、周囲の状況を
 確認しようかなー…って思ってさ」
「ベッドから降りて、側にあった机にぶつかり、上に置かれていたグラス毎倒れたというワケか」


 呆れながらも傷の確認を続ける。他に目立った外傷もないので、少し安心した。


「特別サービスだ」


 そう言って傷口に触れ、そのまま撫でるように移動させる。するとあっという間に、腕の傷痕が
 きれいに無くなっていく。


「…何したんだ?」

 急に痛みを感じ無くなったからだろう。ビクトールは不思議そうに聞いてきた。


「元から人間には、自然に傷を治そうとする機能が備わっている。その速度を少し速めただけだ」
「ふーん…。なぁ、それで俺の目…」
「だが、治せるのは怪我だけだ」


 冷たい言い方ではあったが、私は正直に伝えた。それに出来る事なら最初からやっている。


「…もうすぐ医者が来るから……そうしたら、原因もわかるだろう」

 実際のところ、医者が来たからと言って必ずしも原因が究明出きるとは限らない。
 だが何も頼らないよりはマシな状況だ。
 暫くお互い無言だっが、やがてゆっくりとビクトールの口が動いた。


「何で急に見えなくなったんだろう」


 ぽつりと。本当に口から零れたような声が、やけに大きく聞こえた。
 だが何と言っていいのかわからず、ただ黙ってその少し硬めの黒髪に手を入れた。気の遠く
 なるような時を生きているのに、何も出来ない自分が腹ただしい。


「さっきから思ってたんだけどさ、星辰剣って俺を子供扱いしていないか?」


 頭を撫でられたまま、ビクトールが聞いてくる。先程までとは違い、何時ものように気軽に尋ね
 てくるその声を聞いて、私は何だか如何し様もなく気持ちになった。


「私から見たら、貴様など赤子に等しいぞ」


 何時もと同じような声で答える。きっと、そう言ってほしいのだと思ったから。


「星辰剣がジジイなだけなんだよ。…あっ」
「どうした?」
「星辰剣の手って冷たいのな」


 何を言うのかと思えば…。だが確かに、体温を感じない人の手というものは違和感があるだ
 ろう。


「私の体は大気に漂う原子から出来ているからな…。人のような体温は持ち合わせていない」
「熱があるからかな…何だか冷たくて、気持ちいいや」


 そう言って、少し笑った。
 それを見て、何だか泣きたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

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