あれから暫くの間歩いていたが、やはりと言おうか当然と言おうか、もう辺りが暗闇に包
まれているというのに、我々はまだ森の中をさ迷っていた。
「また道に迷っているんじゃなかろうな?」
心配になって尋ねて見る。この男なら、やってしまいそうな気がするからだ。
「大丈夫だってば。明日になれば、この森を抜けて街道の村に入れるからさ」
「貴様の方向音痴は信用できん」
事実その通りなので、ビクトールは何も言い返せない。
「ほれ。落ち込むのは勝手だが、手だけは動かしていろ。野宿の仕度が出来んではないか」
「煩いな。わかってるよ」
ブツブツと文句を言いながら、集めてきた枯れ木に火をつけて野営の準備をする。夕食は
リコの村に寄った時に購入した乾物ですませた。大食であるこの男には足りない量だったが
今日中に街道の村まで辿りつけなかったコイツが悪いので、同情の余地など皆無である。
「食事が済んだのなら、さっさと寝るんだな。明日は夜明けと共に出発するのだろう?」
「んー。そのつもりだけど…何か最近夢見が悪くてさぁ……正直あまり寝たくないんだよな」
「何子供みたいな理由を言っているんだ。貴様はただでさえ、ここ数日まともに寝ていない
のだろ?」
「よく知っているな」
「下僕の様子ぐらい把握していなくてどうする」
「誰が下僕だよっ」
そう言って、木に立て掛けていた私を無造作に蹴り倒した。真の紋章に対して、このよう
な扱いをするのは世界中捜しても、コイツだけに違いない。一度、痛い目を見せないとい
けないのではないだろうかと、本気で考えてしまう。
まあ、こんな些細な事で怒っても仕方がないので、私は寛大な大人の余裕でビクトールの
所業を許してやった。
「この周囲にモンスターの気配もしないし、今日はゆっくりと眠れ。このままで行くと、何時か
睡眠不足から貧血に繋がって倒れてしまうぞ」
事実、ここ数日の間この男は、度々魘されては目を覚ますという行動を繰り返していたのだ。
私の珍しい好意に驚いたのか、ビクトールはきょとんとした顔をすると、やがて嬉しそうに笑った。
「その時は担いで行ってくれよ。確か人の姿にもなれるって、前に言わなかったっけ?」
「貴様のような重い男など担げるかっ。それに、そんな事で私を変身させるのではないっ」
「ケチー」
そう言いながら、ビクトールは少し体をずらし、睡眠を取る体制にはいる。何だかんだ言って
いても、体の方は疲れていたのだろう。横になったばかりなのに、もう目が閉じかかっている。
「……月が」
小さな声でビクトールが呟く。
「どうした?」
「月が…今日は満月なんだなー…って」
その言葉に天上を見つめると、夜空には大きな満月が浮かんでいた。
だが、ソレは闇を優しく照らす銀の光ではなく、まるで血に染まったかのように映し出された
紅い月。
「…何か…嫌な感じだ」
そう呟くと、やがてビクトールは静かに寝息を立て始めた。
それを見届けると、私は再び頭上に君臨する月を見上げる。
「確かに、嫌な月だ」
はたして、それは予感だったのだろうか、それとも予兆だったのだろうか。
だが、その時点では、まさかあのような事になるなんて誰にも想像出来なかっただろう。
朝を迎えると、ビクトールの目が見えなくなっていた、なんて。
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