「銀兄―。まだー?」 「もうすぐ出てくるから、ちょっと待ってろって」 「だってもう着いているのに」 「あそこからここまで、結構距離があるからな。時間もかかるだろ」
銀河がそう言うと、乙女は「つまんなーい」と言って、椅子に座りなおした。その姿を見 て、銀河は苦笑する。 二人がいるのは、GEAR本部の通路だった。目の前にある大きなガラス窓の向こうには、 巨大な宇宙船が見える。三年前、ガルファとの戦い以降交流ができたアルクトスと繋ぐ唯一 の船。現在二人は、あの船から降りてくる人物を待っていた。
「乙女。何か飲むか?」 「オレンジー」 「了解」
側にあった自販機にコインを入れてボタンを押す。乙女のオレンジジュースと、自分用の ホットコーヒーだ。銀河は中学生に入ってやっとコーヒーの美味しさが理解できたらしい。 それでもミルクたっぷり入れないと飲めないのだが、以前に比べたら大した進歩だと自分で も思う。やはり中学生にもなると、大人になるもんだなー。と、エリスあたりに聞かれたら 爆笑されそうな事まで考えてしまう。
「ほい、乙女」 「ありがとー」
乙女に紙コップを渡すと、自分も椅子に座った。
「にしても会うのは久し振りだよな。乙女、嬉しいだろ?」 「うんっ。だって乙女のご主人様だもん」
そのセリフを聞いて、飲んでいたコーヒーを吐き出しそうになった。
「ごっ…ご主人様―っっ?」 「違うの?TVで言ってたよ?」 「…乙女。何のTV見てるんだよ」 「あのね。土曜の夜にしてるの。母ちゃんと一緒に、いつも見ているんだよ」 「………母ちゃん」
おそらくそれは、今世間で話題になっている連続ドラマの事だろう。確か『新宿の薔薇〜 君は愛を見たか〜』等と言う、ふざけたタイトルのはずだ。そのタイトルもだが、内容がま たはてしなく凄まじいらしく、かなり視聴率が取れているらしい。 でもそんなの、小学生に見せるなよなっ。 銀河は、この場にいない母に向かって心の中で呟いた。いつも週末は北斗の家にいるので、 まさか我が家でそのような事態になっているとは気づかなかったのである。
「…あのな乙女。まぁ確かに、そういう関係かもしれないけどな。あんまり、そういう事を 外で言うんじゃねーぞ」 「何で?」 「乙女はともかく、アイツが犯罪者に見られる」
何しろ、かなりの歳の差があるのだ。現段階でも犯罪的なのに、そんなセリフで呼ばれた ら、確実に皆から引かれる。
「よくわかんないけど、はーい」
少し心配だが、まぁGEARの人間は二人の関係を知っているから、何とかなるだろう。 うん。 銀河が、残っていたコーヒーを飲みながら一人で納得していた時、通路の向こう側からバ タバタと足音が聞こえてきた。
「お。来たみたいだぜ」 「本当っ?」
乙女がガバッと立ちあがると、持っていた空の紙コップをゴミ箱に捨てて、通路を走り出 した。嬉しそうに走って行く後姿を見て、銀河は複雑そんな顔で笑っている。
「やっぱ、兄ちゃんよりも、彼氏の方が嬉しいんだなー」
そう呟いて、自分も乙女の後について行く。もちろん紙コップをゴミ箱に捨てるのは忘れ ない。このような些細な所で、出雲家の躾が見えてくる。 乙女が必死に走っていると、その姿が見えてきた。向こうも走ってきたのだろう。少し顔 が赤い。
「スバ兄っっっ」 「乙女ちゃんっ」
乙女は嬉しそうに。本当に嬉しそうに笑うと、その勢いのままスバルに抱きついた。
「えっ?ちょっちょっと…うわぁっ」
突然の衝撃に耐えられず、スバルは乙女を抱えたまま後に倒れ込んだ。その展開を全て見 ていた銀河が、呆れたように溜息をつく。
「スバルー。お前、相変わらず体力ないのな。そんな調子だと、乙女について行けねーぞ」 「……うるさいぞ銀河。今のは突然だったから、バランスが崩れただけだ」
少し拗ねたような感じで言うスバルが可笑しかったのか、銀河は少し笑った。それにつら れてスバルもクスクスと笑う。
「久し振りだな、銀河」 「ああ。俺も会いたかったぜ、未来の弟くん」 「銀河っっ」
顔を真っ赤にして、スバルは立ち上がる。もちろん乙女を抱えたままだ。
「だってそうじゃねーか。乙女と結婚するんだったら、俺の弟になるって事だろ?なー、乙 女」 「うんっ。乙女、スバ兄のお嫁さんになるのー」
そう言われてしまっては、スバルはただ顔を赤くして黙っているしかない。何しろ事実な のだから。 そう。スバルと乙女は婚約をしていた。と言っても、子供の約束みたいなものなのだが。
「でも、最初にスバルの口からこの事を聞いた時は驚いたけどな」 「……あれはボクにも、どうしていいのかわからなかったからな」 「まぁ確かにそうだな」
あれは去年の事だったろうか。北斗の家に、スバルが泊まりに来ていた時があった。優し くて綺麗なスバルが気に入ったのか、乙女は毎日のように遊んでもらっていた。スバルも弟 が出来て兄の自覚が芽生えたのか、笑顔で乙女と接していた。 そんなある日の事。 乙女に公園まで拉致されていたスバルが、呆然とした雰囲気で北斗と銀河がいる『ポラー ル』の中に入ってきた。
「どうしたのスバル?」 「乙女は?」
二人が顔を覗き込んでも反応が無い。どうしたのだろうか。何か変なモノでも食べたのだ ろうかと心配していると、スバルが突然銀河の両手を握り締めたのだ。
「銀河っっ」 「うわっ。はいっ?」
両手をしっかりと握ったまま、両者共動かない。妙に緊張した空気が流れ、側にいる北斗 も動けなかった。だが、やがてスバルは何かを決心すると、ゆっくりと言葉を発した。
「……兄上と呼んでも…いいか?」
その瞬間、全ての時が止まった。
「……あの時は、スバルが変になっちまったのかと思ったよ」 「……すまない」
今だからこそ笑い話になるのだが、当時のスバルは真剣そのものだった。 ようやく我に返った二人がスバルに理由を問いかけると、どうやら公園で一緒に遊んでい た時に「乙女はスバ兄と結婚するのー」と言ったらしい。子供の純粋な言葉だが、その内容 は「お父さんと結婚するのー」の意味に近いものである。しかし、スバルは真面目だった。 真面目すぎた為に、本気のプロポーズと取ってしまったのである。その為に、あのような爆 弾発言が出てしまったのだ。 あの後、出雲家、草薙家が集まって家族会議となり、取り敢えず乙女の気のすむようにつき あってあげようという事になった。出雲家の人々はスバルの事が気に入っていたし、どうせ いつか嫁にいくのならスバルだと安心と思ったのだ。 草薙家は草薙家でスバルの意思を聞いてみたが、既に心は決めていたのだろう。あれよこ れよという間に、二人の婚約は結ばれた。ちなみにアルテアには事後報告である。 実のところ、スバルも乙女の事が好きだったのだろう。昔から純粋に自分にぶつかってく るこの少女を、嫌いになどなれるはずもないのだ。だから、乙女のプロポーズを聞いた時、 真剣に悩んだのだ。銀河に呆けた発言をしてしまう程に。 だが、大人になるまでに誰か別の人を好きになったら、この婚約は無かった事になる。そ ういう約束になっていた。 何しろ二人はまだ子供なのだ。この先、どうなるのか誰にもわからない。 それでも、何となく銀河は思っていた。 ああ。多分、こいつら上手くいくなー…、と。 兄だからだろうか。 少し寂しいけど、乙女を幸せにしてくれるのはスバルが良い。 今も目の前で、嬉しそうに笑う二人を見て、銀河はそう思った。
「そういえば銀河。北斗はどうしたのだ?」 「ああ。北斗なら学校。先生と話し合いしているよ」 「話し合い…?何故だ?」 「ほら。俺達もいろいろ忙しいだろ?よく授業抜け出したりしているから、単位とかヤバイ らしくてさ」
何しろ電童に乗っているのだ。何か事が起きれば、駆り出されるのは必須である。
「で、それをどうするか話し合っているワケ。スバルの迎えもあるし、俺だと話が先に進ま ないから、北斗一人が残っているんだよ」 「そうか…。エリスは?」 「エリスは何か急用が入ったらしくて、何処かに出かけたぜ。スバルにごめんねって、誤っ といてくれってさ。大丈夫。今夜の歓迎会には来るって言っていたから」 「皆、いろいろと忙しいんだな」 「まぁな。もう昔みたいには、いかないのかもな。でもお前だって、アルクトスの復興を支 えていて大変だろ?」 「ああ…。でも以前よりかは楽になっているのだ。当初は途方にくれていたが…人とは強い ものなのだな」 「そうだな」
何となく二人でしんみりとしてしまった。そんな銀河の服を乙女が掴んで、クイクイと引 っ張る。
「銀兄―。お腹空いた」 「あ、悪い乙女っ。そうだな。ここで立ち話も何だし、家に行こうぜ。俺の母ちゃんと、北 斗の母ちゃんが美味いもん沢山作って待っているしな」 「ああ」 「ごちそうごちそーう」
そう言って、三人はその場から歩き出した。
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