「御免ルティカ。ビクトールがこっちに来ているって聞いたんたげど」
ドアが開けられたと同時に、アウラの声が聞こえてきた。その声に反応して、部屋の中で 本を読んでいたルティカが顔を上げる。
「ビクトールさんですか?ええ…来ていましたけど…」 「けど…何?」 「さっき、シュウさんに連れられて出て行ってしまいました」 「ああああああああっっ!またかぁぁぁぁっっっっっ!」
その言葉を聞いたとたんに、アウラは絶叫してしゃがみ込んでしまった。ここが舞台で尚 且つスポットライトでもあれば、かなり絵になるような姿である。
「ど、どうしたんですか?何か重大事件でも?」
本を投げ飛ばして、慌ててアウラの元に駆け寄る。この辺りが、ルティカの人の良さを感 じさせる処だろうか。
「いや…。大した事じゃないから心配しなくても良いよ……」 「どう見ても、大した事じゃないと言うふうには見えないんですけど」 「本当に用事自体は大した事じゃないんだけど……意地ってヤツかなぁ」 「はい?」
話が見えなくて、ルティカは少し困惑してしまう。それに気づいたのか、アウラは少し演 技的な自嘲の笑みを見せた。
「フフ…ここで九件目なんだよ……。あの馬鹿熊が、この数時間の間に渡り歩いた場所は」 「へ?」 「シュウの所で十件目達成か?ああもぅ。少しはじっとしていろっっあの放蕩熊っっ!」
右手をドアに叩きつけると、まるで発泡スチロールで出来ていたのではないかと疑える程、 そのドアは簡単にフッ飛んでしまった。ルティカの部屋は一変に風通しが良くなる。 アウラの御様子に、ルティカはどうしたらよいものかと考えてみたが、取り敢えず放って おいた方がよいだろうという結論に達し、ただ黙って側で見ていた。
「…御免ルティカ。ドア壊しちゃったね」
ドアにやつあたりをして落ち着いたのか、アウラは申し訳なさそうに言う。
「いいんですよ。どうせ直すのは他の人だし」 「ああ。それもそうか」
そう言って、お互いに無邪気な天使の笑顔を見せ合った。言っている内容は、悪魔そのも ののようだが。
「えーと…アウラさんの話を要約してみますと、ようするにですね。ビクトールさんを探そ うと目に付く人々に居場所を聞いて回り、漸く目撃現場に来てみると、既にその姿は消え失 せてしまっていたという事の繰り返しと…」 「全然要約していないけど、その通り。ここで九件目だ……。最初はアンネリー。その次は シエラ。ホウアンにマイクロトフにルックに……。熊を捕獲するために、全ての場所を駆け ずり回ったさ…」 「……城内マラソンのようですね」 「それに近い内容だったよ……」
アウラは何とか立ちあがって、部屋の中に置いてある椅子に座りこんだ。
「…追いかけなくていいんですか?」 「ああ…もういいよ……。これ以上記録更新したくないし、それにシュウの所なら、暫くの 間拘束されているだろうし…」 「それもそうですね」 「……何で、あんなかなぁ」
ポツリと呟いた言葉に、ルティカが不思議そうな顔をする。そして、アウラが何を言いた いのか、誰の事を言いたいのか何となくわかった。
「性分…じゃないですか?ビクトールさんは初めて逢った時から、あんな風でしたよ」 「うん…。それは知っている。俺の時もそうだった」
そう言って、アウラは初めてビクトールと出会った時の事を思い出していた。強引と思え る手段で、自分を解放軍に入れた時の事を。 第一印象は、ハッキリ言って最悪に近いモノだった。と言うよりも、今までに自分の周り にいなかったタイプなので、どう接すれば良いのかわからないと言った所だろうか。 だが、心の何処かで「この人なら信じても良い」と思っていたのも事実だった。逃げてい た自分達に、救いの手を差し伸べてくれたのも彼だったのだから。
「…天然記念物に指定したいぐらいだな」
アウラは少し笑って呟いた。 本当に。 何で、あんな人間がいるのだろうかと思えてしまう程。
「優しすぎる人…ですよね」
まるでアウラの思考を読み取ったかのように。ルティカが言葉を繋げる。
「最初は僕も驚きました。見ず知らずの、しかも敵側だった僕達を助けてくれるなんて、思 ってもみなかった…」 「アイツは、女子供には無条件で優しいから」 「でも、自分に対しては、とても厳しいですよね…」
その言葉に、アウラは少し驚いて顔を上げる。
「気づいていたんだ」 「これでも、ここのリーダーですから」
そう言って笑うその姿に、アウラは何だか安心したような気分になる。それが何に対して の気持ちなのかはよくわからないけれど。 多分。 あの人の事を、少しでも想ってくれている人間がいるという事に、安心したのだろう。
「……アイツはね、自分の事よりも、他の誰かが幸せになってくれるほうが良いんだって。 誰かが幸せに笑ってくれているのなら、自分も幸せになれるって」 「だから今日みたいに、いろんな人から頼まれ事をされても簡単に引きうけてしまうんです よねぇ」 「そういう事。不器用な熊だよ…本当に」
まだ十数年間しか生きていない自分でもわかってしまう程の、不器用な生き方。
「もっと、小賢しく生きていけばいいのにな。それだけの頭脳は持っているはずなんだから」 「でも、そんなのビクトールさんらしくなくて、何か嫌です」 「それもそうか」
そう言って、二人とも笑い出す。 何故だろう。 彼の事を考えているだけで、心の奥の方が暖かくなってくる。
「さてと。そろそろ十件目に行くとしますか」 「頑張って捕獲して下さいね」 「まかせとけって」
椅子から勢い良く立ちあがると、アウラは笑顔で部屋を飛び出した。 ビクトールは風のようなもの。 触れようとすれば、スルリと逃げて行く。
「絶対に捕まえてやるよ」
アウラはそう呟くと、全速力で走り出した。
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