ゴールドパスをゲートで提示した後、笑顔でパンフを渡そうとした係員を無視して、銀河
は学生鞄を小脇に抱えて走り出した。時刻は午後四時を少し過ぎたところ。こんな時間、し
かも平日のアミューズメントパーク内を、必死に走り抜ける学生服姿の少年の図というのも
かなり目立つものである。
「だーっもう畜生―っっ!!完璧に遅刻だーっっっ」
 まばらではあるが、微笑ましく施設内を楽しんでいる客にぶつからないように、その間を
器用にすり抜けながら、銀河は中央に位置してある施設へと全速力で向かう。
「これというのも北斗のせいだーっ。俺を置いて先に行きやがってーっっ。相方なら少しは
待ってろよーっっ」
 何が悲しくて、アミューズメントパーク内を必死になって駆け抜けなければならないのだ
ろうか。自分の境遇が情けなくて、ついつい自分よりニ時間以上も前に学校を出た、今この
場所にいない北斗への文句が出てしまう。
 しかし北斗とて、別に銀河が憎くて彼を置いて先に学校を出たのではない。
 本来ならば、銀河も北斗と一緒に出る予定だったのだが、本日行われた数学の少テストの
結果が散々であった為、急遽放課後居残りの刑に処せられたのである。しかも全問解けるま
で帰宅できないとのお達しも受けてしまったので。
「じゃあ、僕先に行くね」
 との言葉を残して、北斗はその通りに先に行ってしまったのだった。いつ終わるのかわか
らない銀河を待つよりは、先にGEAR本部へ言って遅刻すると伝えておいた方が良いと判断し
たのだろう。北斗の行動は間違ってはいない。だが、それでもやっぱりどこか悔しいので、
銀河はぶつぶつと文句を言いながら走っていた。黙って走っていた方が体力も使わないし
もっと早く走れると思うのだが、それに突っ込みを入れる者もいないので、通りすがりの
通行人達に不思議な顔で見られながら銀河は目的地へと近づいていく。
(よーし、あとはこの通りを一直線だっ)
 見慣れた建物の姿を発見すると、銀河は息をゆっくりと吐いて、ラストスパートに入ろう
と渾身の力を込めた。
 が、その瞬間、左前方の死角に隠れていた細道から、急に人影が出てきたのだ。
「えっっ…ちょっ、うわぁっっ」
「…え?」
 慌てて速度を落とした銀河だが勢いついた体は止まらず、そのまま突撃をかましてしまい、
相手を巻き込んで地面へと転がり込んだ。
「……いてててて、何なんだよもう畜生…。って、悪い。ごめん、大丈夫か?」
 持っていた学生鞄を下敷きにして倒れていた銀河は、激しい衝撃から直ぐに立ち直ると、
事故相手がまだひっくり返っているのに気付き、慌てて四つん這いのまま相手の側へと近づ
いた。
 いくら相手が突然飛び出してきたからと言っても、この状況は確実に銀河が加害者である。
「…いや…まぁ、大丈夫じゃないような大丈夫なような…ははは」
 銀河が心配そうに顔を覗き込むと、その人はまだ目を閉じたまま頭を抑えて、ゆっくりと
上半身を起こした。そして側に来ていた銀河の方へと視線を向ける。
 年は二十代前半といったところだろうか。少し長めの髪は、今時には珍しいと感じてしま
うぐらいに黒い。少しぽややんとした印象を見せるが、一般的に見ればかなり美形の部類に
入るだろう。銀河は思わず相手の顔を、まじまじと凝視してしまった。
(あ…、よく見れば灰色っぽいんだ)
 特に印象のある瞳を覗き込んで、ぽつりとそう思った。一見、普通に見える瞳の色だが、
光の加減だろうか。その瞳が灰色になる瞬間がある。
(そういや北斗も、緑がかった目ぇしてるんだよなー)
 思わず、この場に関係ない人物の事まで思い出してしまった。
「…あのー?」
 無言で自分の顔を見ている銀河に不審を抱いたのか、青年は少し困ったように首を傾げて、
銀河に声をかけた。その声で自分が失礼な行動を取っている事に気付き、慌てて場を取り繕
うとする。
「あっ…ごめんっ!!えーと…その、ごめんなさい。思いっきりぶつかって…」
「ああ、平気です。突然出てきた僕も悪いから気にしないでください。でも、こんな場所で
走ったら危険ですから、これからは気をつけてくださいね?僕みたいな大人ならともかく、
小さな子供とぶつかったら大事になりますから」
 そう言って、にこりと青年が笑った。その笑顔はまるで、背景にお花が咲いていそうな笑
顔だったので、銀河は余計に罪悪感に駆られる。取り敢えず罪滅ぼしにもならないが、ぶつ
かった拍子に散らばった鞄や荷物を拾い集めようと、体をずらして手を伸ばそうとした時、
突然相手が悲壮な声を出した。
「……あのー…すみません。僕の眼鏡、そこいらに落ちていませんか?」
「眼鏡?」
「はい…多分ぶつかった拍子に落ちたんだと思うんですけれど…。あれがないと、あまり物
が見えなくって…」
 青年はおろおろとしたまま、地面に手を付き落ちた眼鏡を探している。その姿は、往年の
名漫才師の持ちネタに似ていて、思わず銀河は笑いそうになる。いや、笑ってはいけないの
だ。何しろ自分が悪いのだから。
(昨日、母ちゃんにつきあってメモリアルビデオ見たのがまずかったなー)
 ようするに、タイミングが悪かったのだ。
「あ、俺が探すよ。あんた、よく見えないんだし危なっかしいしな」
「そ、そうですか?すみません、お手数をおかけしまして…」
「いいっていいって。元はと言えば、俺が悪いんだから」
 そう言ってその場から体を起こすと、銀河はぐるりと自分達の周囲を見回した。散らばっ
ているのは、銀河が持っていた学生鞄と、青年が持っていた黒いリュックに透明なファイル
ケースのみ。何処にも、眼鏡らしき物体が見えない。自分の足元や、青年が座っている周辺
も見てみたが、やはり眼鏡の姿は無かった。
「おっかしいなー、眼鏡なんか何処にもないぞ?もしかして、実は眼鏡じゃなくって、コン
タクトでしたー。っていうオチとかじゃないよな?」
「どうしてこんな所でオチを持ってこなきゃいけないんですか。それに僕は、コンタクトは
駄目なんですよ」
「何で?」
「痛いじゃないですか」
 それはそうだ。が、そうもキッパリ言われてしまうと、どこか拍子抜けしてしまうのは何
故だろうか。
「それじゃあ、どこかに飛ばされたのかも。例えば、そこの通路の脇にある花壇とか…」
 そこまで言って、ふと、銀河は思い出したくない事を思い出した。
 先ほどの衝突事故の時、自分は学生鞄を下敷きにしていた。そしてその時、何か嫌な感触
が無かっただろうか。
 例えば、何か金属系の物を踏み潰したような…。
 さぁーっ、と顔を青くして、慌てて放り出したままの学生鞄を持ち上げると、そこには見
たくなかった眼鏡の慣れの果てが転がっていた。
 フレームはぐにゃりと曲がっており、レンズも粉々に割れている。どう頑張って見ても、
もはや使い物にもならないのは明白である。

 

 

 

 

 

 

 

 

「本っ当にごめんなさいっっ」
 事情を説明して、銀河は本日何度目かわからない謝罪をした。しかもその場にきちんと正
座して土下座である。思わず青年もつられて正座しているが、二人は先程から場所を移動し
てはいない。つまり道の隅っこで、少年と青年が向き合って正座している図が展開されてい
るのである。その側を通る客達は不思議そうに二人を見ているが、銀河は自分のしでかした
事の重大さにパニックを起こしているし、青年は青年で眼鏡が無くて周囲の景色が見えない
状況なので、人々の視線に全く気付かなかった。
「絶対に弁償するからっ」
「いや…、そこまで気にしなくても平気ですって。どうせ、もう古くなってきたから変えよ
うと思っていたんですから」
「いーやっ、そんな事を言われても俺が納得できねぇっ。だって俺が悪いんだぜ?それなの
に、はいそーですか、何て言えるわけないじゃん」
「でも、眼鏡って以外と高いですよ?声と、その服の色からして、まだ学生さんでしょう?
弁償はちょっと無理なんじゃないかな…」
 高い、といわれて一瞬怯んだが、銀河はそれでもやはり自分の過失のせいなので引く事は
出来なかった。
「いや、大丈夫っ。一応、バイトみたいな事はしているし、眼鏡代ぐらい払えるって」
 バイトみたいな事、というのはもちろん電童のパイロットとの事である。やはりそれなり
の能力の仕事をこなしているので、GEARからは、それなりの給与も出ているのであった。
ただ、まだ義務教育期間中なので、その給与は全て各自の保護者が握っているのだが、理由
を言えばそこから、眼鏡代ぐらいは出してくれるだろう。ただしその前に、みどりにブン投
げられるのは確実ではあるが…。
「…それじゃあ、お言葉に甘えますよ?」
 銀河が折れないと理解したのだろう。青年は苦笑を浮かべて降参した。
 その言葉を聞いて銀河はふにゃりと笑い、安堵の息を吐く。
「よっし、そうと決まったら行こうぜ」
「…は?行くってどこへ…」
 勢い良く立ち上がった銀河に促されるが、青年は困惑顔で聞き返した。
「だから眼鏡買いに。俺、今持ち合わせないから、一度家に帰らないと駄目なんだけどな。
あ、でもここから結構近いトコだから、眼鏡屋が閉まるまでには間に合うって」
 そんな事をすれば、確実に今日はGEARをサボる事になるのだが仕方が無い。この青年
をこのまま放っておくわけにもいかないし、眼鏡が無いと不便だというのは銀河にでも理解
できるので、早めに調達しておいた方が良いだろう。
 銀河にしては的確な判断だ。だが、その提案に青年は難色の色を浮かべる。
「…心遣いは嬉しいんですけれど、僕、ちょっと今から行かなきゃいけない所が…その、あ
りまして…」
「行く所…って、ここでか?」
「はい。ちょっと急用と言うか何と言うか…」
「あ。だったらさ、俺がその場所まで連れて行ってやるよ。何も見えないと、変な場所に辿
りついちまうかもしれないしな」
 名案とばかりに、銀河は笑顔で相手の腕を取って立ち上がらせた。立って並んでみると、
意外と長身だというのに気付かされ、思わず呆けた表情をしてしまう。中学に入ってから、
ますます北斗との身長差をつけられた銀河としては、背の高い人物に少々コンプレックスを
感じてしまうのだ。
 しかし、今ここで青年を羨んでも自分の身長が伸びるわけでもない。そう結論付け、あっ
さりと気持ちを切り替えてそのまま歩き出そうとしたのだが、青年は物凄い勢いで首を左右
に振り、その場に留まろうとする。
「だっ駄目ですっ!!あの、ちょっとそこは関係者以外立ち入り禁止なのでっ…。もう本当に
気持ちだけで結構ですからっ」
「えー…、じゃあその入り口までは?」
「すみません…それもちょっと……」
 申し訳なさそうに断りを入れる青年を見て、さすがに無理強いは出来ないと理解する。
 このまま無理矢理引っ張って行っても、ただの親切の押しつけになるだけだ。
「んー、わかった。それじゃあ、名前と住所か電話番号教えてくれよ。俺も教えるからさ。
んで、そっちの都合の良い日にでも、眼鏡買いに行こうぜ」
「あ、はい、それでしたら…、ちょっと待ってくださいね、今携帯を出します」
 慌ててリュックの中から携帯電話を取り出す青年を見て、銀河はふと考えた。
 このアミューズメントパークの中にそれだけ慌てる程、他人に知られてはいけない場所と
いうのはあるのだろうか…?
 スタッフ達がいる休憩室や、各施設の裏側や機器類を置いている場所は、確かに関係者以
外は入れないだろう。しかし、入口の側まで近づく事の許されない場所というのは、ここで
は一つだけしかない。
(…まさか、なぁ?)
 小首を傾げて考えていた時、やっと携帯を見つけたのだろう。青年は笑顔でこちらに顔を
向けた。
「すみません、お待たせしました。えー…っと、どうします?僕から先に言いましょうか?」
「あ、いいや。俺から言うよ。んで、ソッチからコッチにかけてきてくれたらいいから」
 携帯を開いて操作する相手を見て、銀河もズボンのポケットに入れていた携帯を取り出し、
画面を開いた。
 名前を聞くときは、自分から名乗るのが礼儀。と、礼節の心を重んじた行動のように見え
るが、ただ単に番号を入力するのが面倒な銀河だった。
「じゃあ、名前から言うな。俺、出雲銀河って言うんだ。で、番号なんだけど…」
 銀河が名乗った瞬間、青年はピクッと体を反応させ、そのまま大きく目を開いて銀河の顔
を見つめた。まるで、信じられないといった表情を見せて…。
「出雲…銀河?」
「え?ああ、そうだよ。……何か変な事言ったか?」
「いや…違うんです。ただちょっと驚いて…」
 青年は空いていた手で自分の胸を押さえ、大きく息を吐いた。それはまるで体中を駆け巡
った、激しい動揺を押さえ込んでいるように見える。
「おい、どうしたんだよ?」
「…あの、やっぱり送って行ってもらえますか?そこに行けば多分、換えの眼鏡ぐらいはあ
ると思いますし、その方がいろいろと都合が良いと思いますので」
 漸く落ちついたのだろうか。青年は持っていた携帯を閉じて、にこりと微笑む。先程とは
打って変わった言葉に、今度は銀河が驚いてしまった。
「はぁ?いや別にいいけど、関係者以外立ち入り禁止なんだろ?いいのか?」
「いいんです。僕が今から行く場所と、貴方が行こうとしていた場所は同じなのですから」
「……え?」
 その言葉に、銀河は先程考えていた疑問を思い出した。関係者以外、入口付近ですら近づ
けない場所。このアミューズメントパーク内で、そんなにも厳重に秘せられている場所はた
だ一つ。
 青年は、言葉を失って呆然としている銀河に向けて一礼した。
「初めまして。今日からGEAR本部に所属になりました、雨野天狼と言います」
 次の瞬間、銀河の驚愕の声が周囲に響き渡った。

 

 

 

 

 

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