嫌な音素を感じた。 それは物凄いスピードで、このセントビナーに近づいている。 それには、いつもカルマの側にいる『彼』も気がついたようで、先程からひきりなしに注意 を促してくる。
「ああ、わかっている」
平気だって、と優しく微笑むが、心配症な『彼』はそれでもと訴える。 大丈夫。 もう前みたいな馬鹿な真似はしない だって。
「…ずっと側にいるんだろ?」
そう問いかけると、すぐに当然だと返された。何回も何回も。 うん。だから大丈夫。だって一人じゃないから。 カルマの左手に付けられたリングが、強く光り輝いた。
「マクガヴァンさんっ!!」
街の入口付近で、住民達を誘導していた老マクガヴァンに気づいて、カルマは大きな声で彼 を呼んだ。
「そこから離れてっ!!早くっっ!!」
突然の事に驚いた老マクガヴァンだったが、尋常ではないカルマの雰囲気に気づき、急いで 入口に固まっていた人々を外へと避難させる。 それに安心したカルマだが、足の速度は落とさず、そのまま門壁を駆け昇った。そして左足 を力強く踏み込み、上空目指して飛び出す。 空を見つめ、左手に力を込めて拳を作ったその時、突然カルマの目の前に巨大な機体が現れ た。しかしカルマは、それに驚いた様子を微塵も見せなかった。それどころか幾つもの銃器 や、巨大チェーンソーをつけたソレに向かって、握りしめたその拳を撃ちつけたのだ。 小さな子供の無謀な行動に、誰もが息を呑んだ、その瞬間。
「…これはっ!!」
ようやくその場に追いついたジェイド達は、信じられない光景を目撃する事になった。 耳障りな衝撃音をあげながら、巨大な機体が地面に叩きつけられる。そして勢いよく一回バ ウンドすると、煙を上げながら動かなくなってしまった。よく見ると、カルマが攻撃したボ ディは大きくひしゃげている。
「……なぁ。俺、夢でも見てるのかな」 「アニース。ちょっとガイに抱きついてみてくれませんか?」 「え?あ、は〜い大佐。えい」 「どぅわああああ!!いきなり何するんだ!!!」 「いえ。夢か現実か、確かめさせてあげようと思いましてね」 「よけいなお世話だ!とにかく離れてくれぇぇぇ!!」
微笑ましい(?)会話が展開されているギャラリーを無視して、カルマは倒れた機体にゆっく りと近づく。 『彼』が心配そうに声をかけてきたが、先程の攻撃をまともに受けたのだ。早々動き出す事 はないだろう。とりあえず今は、この機体が何なのか調べなければ。
「…何かどっかで見た事あるんだよなぁ」
う〜ん?と唸りながら、カルマは倒れている機体をコンコンと軽く叩く。それから、後ろの 方に回ってみようと歩き出した時、微かな機械音が聞こえた。と同時に、カルマは背後から 強い衝撃を受け地面に押し倒されてしまった。
「…っ何だ!?」
痛みに眉を寄せる。慌てて立ち上がろうとしたが、体が動かない。見ると、先程までピクリ とも動かなかった機体のアームに、体を捕えられていた。
「あ〜はっはっはっ!油断大敵ですよ。ぼ、う、や」
機体の背後から、何だかムカツク笑い声が聞えてきた。 唯一動かせる上半身を何とか起こして振り返ると、そこには椅子があった。 いや、椅子に座っている人物がいた。名前は確か。
「…鼻垂れディスト!!」 「キィィィィィ!!誰が鼻垂れですって!?バ、ラ!薔薇のディストです!!」
興奮したからだろうか、椅子を高速回転させながらディストは叫んだ。譜業の技術とは言う が、よくよくわからない原理で出来ている椅子である。
「っつーかコイツ、何であの攻撃くらって動けるんだ?」 「んふふふふ。このカイザーディストRXを舐めないでください。私が開発したディストニ ウム合金で出来た特殊ボディが、あれしきの攻撃で壊れるわけがありません!」 「何なんだ、その無茶苦茶な合金は…」 「子供のくせに、素手でカイザーディストRXを傷つけた貴方の方が無茶苦茶です!…とに かく、遊びはここまでですよ」
フン、と鼻を鳴らし、ディストはこちらの様子を窺っていたジェイド達を見た。いや、正確 にはジェイドだけをだ。
「やっと見つけましたよジェイド!さあ、導師イオンをこちらに渡してもらいましょうか」 「お断りします」
即答だった。
「ちょっと貴方!少しは考える余地を見せなさい!こっちには人質がいるんですよ?」
そう言うと、カルマを捕えているカイザーディストRXのアームが、まるでその存在を見せ つけるかのように、高々と持ち上がった。
「え?俺、人質なのか?」 「何処からどう見てもそうでしょう!…さて、どうしますか?このまま握り潰してもいいん ですよ?」
ギリリとアームが動き、カルマの体をゆっくりと締めつけていく。
「止めなさいディスト!その子は関係ないでしょう。…僕が目的なら、そちらに従います」 「何を言っているんですかイオン様!」 「そうです。貴方を行かせる訳にはいきません」
イオンの言葉に、アニスとティアが慌てて引き留めるが、イオンはゆっくりと頭を振る。
「それでも、何の罪もない彼を見捨てる事はできません」 「イオン様…」
何て優しい微笑みなんだろう。けれどその笑みを見る度に、アニスの胸はツキリと痛む。
「…盛り上がっている所申し訳ないのですが、イオン様をあちらに渡す事はできませんよ」 「ジェイド?」 「まあ。それではあの子を見捨てると言うのですか!?」 「ハッキリと言えば、そうです。我々はイオン様を失う訳にはいきませんから」
ジェイドの言葉に、その場にいた誰もが動けなくなった。ディストまでもだ。
「…フフフ。貴方は昔から変わらないですね。いつだって冷静で、賢明な判断をする」 「性格ですからね」
そう言うと、ジェイドは静かに戦闘体勢に入った。足元から、ゆっくりと譜陣の光が浮かび 上がる。
「おい、ちょっと待てよ!お前、本気でそう言っているのか!?」 「そうですわ!あんな小さな子を見捨てるなんて、そんな真似できません!」 「ならイオン様を渡して彼等の思惑通りに戦争を起こさせますか?そうなれば、彼よりも幼 い子供だって大勢死んでしまいますよ」 「…!そうですけど…でも…」
確かに自分達は戦争を止める為に動いている。今、イオンをあちら側に奪われてしまったら、 確実に戦争が始まってしまうのは明らかだ。
「私は…、でも……」 「気にする事はないよ。それが正しい選択だ」
まるで場違いのように、柔らかい声が聞こえてきた。驚いて顔を上げると、その視線の先に は捕えられたままのカルマがいた。
「お前達はこの世界を救うんだろ?だったら俺の事は気にしなくていい。大体、俺がこんな 状況なのも俺が悪いんだし。それよりも、早くセントビナーの皆を安全な所へ。でないと崩 落が始まってしまうぞ?」
そのあまりの余裕っぷりに、先程まで流れていた緊迫感がバッサリと斬られてしまった。逆 に何だかよくわからない、ほややんとした空気が流れているような気がする。 だから誰も気づかなかったのだろう。その言葉が、あんな幼い子供の口から語られたという 違和感に。
「なー、ディスト」 「…な、何ですか?」
気軽に声をかけてくるカルマに、思わず素直に返事してしまった。
「イオンはやれないけどさ、コレをやるよ」
そう言って、天使のような笑顔を見せると、突然カルマの左手に巨大な炎が出現した。
「…………え?」
それは見ている間にもグングン大きくなり、ディストが我に返った時は既に遅く、炎は何も 燃える物が無いにも関わらず、カイザーディストRXとディストを囲んで走っていた。
「な、何なんですかコレは!詠唱も無しに譜術なんて…、そんな馬鹿な!!」 「譜術じゃないからな。これは純粋な第五音素。…ュウの炎だよ」
最後に呟かれた言葉はあまりにも小さく、炎の音に掻き消され、誰の耳にも届く事は無かっ た。
「消化!カイザーディストRX、早く消化しなさいっ!」
ディストの命令を受けて、カイザーディストRXは火を消し止めようと動きだす。 その瞬間、全ての意識がカルマから反らされる。 そしてその事に、逸早く気づいた者がいた。
「荒れ狂流れよ…スプラッシュ!!」
燃えさかる炎の真上に、第四音素の力が集結される。そしてそれは巨大な水泡を作り、その ままディスト達へと降り注ぐ。
「ひぃぃぃぃぃ!?」
あまりの水量に、ディストの視界が奪われてしまう。その隙をついて二つの影が、その場に 踊りだした。
「獅子戦吼!」 「爪竜烈濤打!」
左右から同時に、カイザーディストRXへと攻撃がくりだされる。いくら耐久性に優れた機 体とはいえ、先程の譜術に加え二人の同時攻撃を受けては、体勢を保てる事が出来ない。 カルマは、自分を捕えていたアームが僅かに緩んだ事に気づくと、直ぐ様そこから逃げ出し た。これで人質という盾を、ディストは無くした状態になった。
「さあ、どうする?まだやるってのかい?」
剣の先をディストに突きつけて、ガイは静かに問う。
「そうそう。おとなしく降参した方が身の為だよ〜?」
カイザーディストRXをトクナガで踏み倒しながら、アニスも無邪気な笑顔で脅迫した。 最早、ディストに勝ち目は無いと、誰もがそう確信した。 しかし。
「…降参?何を言っているんですか?私にはまだ、とっておきが残っているんですよ?…カ イザーディストRX!!」
そう叫ぶと、倒れていたカイザーディストRXが勢いよく立ち上がった。突然の事に反応で きなかったアニスが、トクナガ毎跳ね飛ばされてしまう。
「まだ動くのかよ!」 「カイザーディストRX!お前の力を見せつけてやりなさいっ!!」
ディストの命令を受けると、機体に取りつけられた銃器が一斉に動き出した。そしてその銃 口は、まっすぐにセントビナーの街中に向けられる。
「いけないっ!!」
ティアが慌てて第二譜歌を唄い始め、セントビナーの前に巨大な防御譜陣を出現させた。フ ォースフィールドが発動したと同時に、カイザーディストRXから放たれた爆撃が次々と着 弾していく。
「クッ…!何て数なのっ!?」
絶大な防御を誇る譜陣ではあるが、無数に打ち込まれる爆撃に、少しづつ押されていく。 攻撃を止めようとガイ達がカイザーディストRXに近づくが、アームから放たれるレーザー 光線によって、それもままならない。 このままでは、セントビナーの街が攻撃を受けてしまう。 それだけは駄目だ。 ティアはもう一度譜歌を唄うために、意識をセントビナーへと向ける。 そして気づいた。 先程発動させた譜陣のに向かって、小さな影が近づいているのを。
「カルマ!?」
カイザーディストRXに皆の注意が向いている間に、カルマは攻撃を受けている譜陣目指し て走り出していたのだ。その手には、いつの間にか、子供が持つには大きすぎる剣が握られ ている。 止む事ない爆撃の雨を、まるで一陣の風のように駆け抜け、カルマは飛び込むように、譜陣 の中へと転がり込んだ。
「っと、うわぁ!…ふ〜、何とか来れたな」
無事に、目的地に辿りつけた事に安心して笑うが、直ぐにその表情は真剣なものに変わり、 今も目の前で繰り広げられている爆撃を見つめた。 それからゆっくりと剣を掲げ、音素を集中させる。その剣の先には、先程の攻撃で発生され た水のFOFがゆっくりと絡まれていた。
「第四音素の癒しの力…。お願いだ、皆を守ってくれ」
すぐ側で、『彼』も一緒に音素に頼んでいる。それに反応したのだろう、剣に絡みついてい た水のFOFが光輝き、巨大なサークルへと変化し、防御譜陣を包み込むように広がってい った。
「守護方陣!」
カルマが剣を大地に突き立てると同時に、水のFOFと譜陣が一つに絡み合い、それは波の ように揺れ、閃光を放ちながら、一瞬にしてセントビナー全体を取り囲んだ。
「…そんな。フォースフィールドが…、範囲を広げるなんて…」 「それだけじゃありませんわ。見てくださいまし!」
そう言ってナタリアが指し示した先では、先程まで押していた爆撃が今は強固な光の壁に阻 まれて、何の衝撃も与えられていない。 次々と爆撃が粉砕されていく。その度に煙が立ち上がり、周囲を白く覆いつくしてしまう。 …どれぐらいの時間が経ったのだろう。気づけば、いつの間にか爆撃は止み、煙によって視 界を遮られた世界は無音で、孤独だった。 やがて、その煙が薄らいできた頃、ディストとカイザーディストRXの姿が消えている事に 気づいた。どうやら、視界が効かない間に逃げてしまったようだ。
「おやおや。逃げられてしまいましたか」 「うっわ、何これ。攻撃するだけしておいてトンズラ?こういうのってヤリ逃…」 「アニスっ!頼むからその先は言うな!!」
一見、可愛らしい少女の口から出かけた言葉を、ガイは必死で止めた。 それを微笑ましく眺めると、ジェイドはセントビナーへと視線を向けた。
「音素を操り、譜陣を強化しましたか。…それに先程の技……。まさか…」
一瞬だけではあるが、光の隙間から見えたカルマの技は、彼と同じ技だった。 あの朱の髪を持つ、少年と。 その疑問は、小さな棘のように、ジェイドに突き刺さる。
「うっあ〜…、疲れた〜……」
剣を支えにして、カルマは脱力する。 無理もない。いくら音素の力が自由に使えるようになったとはいえ、先程のような合体技は 初めての試みだったのだから。
「…でも成功してよかった。なぁ、ミ…」
一緒に力を貸してくれた『彼』に笑いかけた、その時。 突然、下から突き上げるような衝撃が起きた。 その後大きな横揺れが始まり、それは握っていた剣が無ければ、立っていられない程だった。
「…まさか、もう崩落が!?」
揺れは、ますます激しさを増し、大地に亀裂を生み出す。揺れる度に亀裂は大きくなり、あ っという間にセントビナーは、大地から孤立してしまった。 何て事だろう。まだ避難していない人もいるのに。 カルマは悔しそうに、離れていく大地を見つめた。 今なら、まだ間に合うかもしれない。 第三音素の力を借りれば、住民をここから脱出させられるかもしれない。 しかし、先程の防御譜陣で力をかなり使ってしまっている。こんな状態では、安全を保証で きない。 結局。
(俺は、誰も救えないのか…?)
悲観していたその時、カルマの肩に、そっと触れる手があった。
「大丈夫だ、カルマ。まだ、諦めるのは早い」 「…マクガヴァンさん?」 「向こうを見てみろ」
そう言って、老マクガヴァンが促す先には、こちらをに向かって何か叫んでいるティアがい た。
「マクガヴァンさん!カルマ!このセントビナーが完全に降下するまで、かなりの日数がか かります!それまでに、皆を助ける方法を見つけてきますから…!だから…!」
それまで、頑張ってください。 それは、とても力強い言葉だった。 よくよく見てみれば、残された大地には、ティアだけでなく、ガイやジェイド達も残ってい る。 なら、まだ大丈夫。 希望は、残されている。
「…カルマよ。お前さんは、まだ子供だ。いくら力を持っているとはいえ、まだ子供なのだ。 …何でも一人で背負おうとするな」 「マクガヴァンさん…。でも俺は…」
俺は、そうしないと、いけないんです。俺が犯した罪は、こんな事では償えない。 カルマは、何かに耐えるように、そっと左手のリングに触れた。
「…一つ、言い忘れていたな」 「え?」
顔を上げると、今度は頭に手を置かれた。
「このセントビナーを守ってくれて、感謝する」 「……っ!!」
ああ、守れたんだ。 こんな自分でも、何かを守る事ができたんだ。 『彼』が嬉しそうに囁く。 良かったね。良かったね、と。 その言葉と、置かれた手が、とても暖かくて。 紫水晶の瞳から、静かに涙が溢れた。