嫌な感じがして、キースは部屋を出たフレイと刑事の後を追っていた。
 だが、自分達のいる階のトイレに二人の姿は無かった。
 別の階に行ったのだろうか。
 キースが走り出そうとした時、誰かが力を使った気配を感じた。

「今のは…」

 最近感じたばかりの、サイコパターン。
 当然、バーンのものではない。

「くそっっ」

 キースは舌打ちすると、波動を感じた上の階へと急いだ。
 会議室で占められているこのフロアには人気が無く、明かりのついていない廊下は薄暗か
 った。
 その時。
 廊下に血まみれで倒れている人影を見つけた。
 近づいてみると、それがフレイと一緒に出ていった刑事だとわかる。

「大丈夫かっっ」

 キースは慌てて近寄り、その体を抱き起こした。
 辛うじて息はしているようだ。が、意識はない。
 良く見ると、腕や足が、微妙に歪んでいるのがわかる。
 キースはとりあえず応急手当をしなければいけないと思い、意識を集中した。
 せめて、この手足ぐらい元に戻さなければ。
 キースの力がゆっくりと体に入りこみ、体を通常の状態に戻していく。
 後は本人の生命力に頼るしかない。

「どうしたんだ、おいっっ」

 異変を感じたのか、レオンが数人の部下を連れてやって来た。

「…これは」
「話は後だ。レオン、早く救急車をっっ」

 そう伝えると、キースは力を感じた奥の部屋のドアを開けた。
 がらんとした部屋の中は無人で、開け放たれた窓が風を入れている。
 キースは窓に近寄ると、庭にいる人影を捕らえた。

「バーンっっっ」

 見ると、バーンはミリィを庇いながらフレイと対峙している。
 彼女がくっ付いているので、超能力が出せないのだろう。少しづつフレイとの間合いが近
 づいている。
 キースは窓に手を掛けて、軽やかにそこから飛び下り、バーンの目の前に降り立った。

「大丈夫か?バーン」
「ああ…。サンキュー、キース」

 バーンはホッとした表情で微笑む。
 その表情を見て、キースも安心した。
 そして視線を、目の前にいる男に向ける。

「フレイ・バーキンソン……。君はサイコ使用者だね」

 ゆっくりと。宣告をするようにキースは言う。
 フレイは、その言葉を聞いて低く笑った。

「そういう貴方も、そうなのではないのですか?」
「悪いが、君と同じではないよ?」
「ほう?」
「薬で得た偽りの力ではなく、生れ落ちた時から持っているモノさ」
「……サイキッカーかっっ」
「ご名答」

 そう言ったと同時に、二人の間に力の衝突が始まった。
 激しい衝撃が周囲を襲う。

「きゃあっっ」
「ミリィっっ」

 バーンはミリィを庇いながら、バリアガードを張った。
 二人の周囲だけが、見えない壁に包まれているかのように守られている。

「…お兄…ちゃん……?」
「ミリィ…、話は後でしよう。それよりも今は…」

 何とかして、あの男を止めないといけない。
 バーンは、ミリィを抱きしめながらフレイを睨み付ける。
 フレイの力は、想像していたよりも強力だった。
 その能力は、サイキッカーと肩を並べるほどの…いや、それ以上のレベルだろう。

「…中々やるな」

 キースは苦笑を浮かべて言う。
 まさか警察の敷地内で、これ程の超能力戦をするとは夢にも思わなかった。

「……殺してやる」

 力を放出しながら、フレイは低く唸る。

「私とミリィの間を邪魔するものは、全て殺してやるっっっ」

 その言葉を聞いて、ミリィは反応した。

「先…生……?」
「っっ聞くなっ、ミリィっっっ」
「あの女のように、皆殺してやるっっ」

 絶叫のように、フレイは吼えた。
 それと同時に激しい力の放出が始まる。
 その勢いのまま力をキースにぶつけるが、キースは平然としてそれを防ぐ。
 例えフレイが強大な力を得ていたとしても。
『ノア』の総帥であるキースに敵うはずがなかった。
 力と力のぶつかり合い。
 まるで突発的な嵐が起きているかのようだ。
 だが。
 バーンとミリィの間には、冷たいまでの静寂が包んでいた。
 先程のフレイの言葉が、ミリィの思考を停止させていたのだ。

「せ…先生……。まさか、お母さんを………」

 震える声で、ミリィは呟く。

「ミリィっっ。しっかりしろっっ」
「そ…んな…。嘘…嘘ぉ……」
「ミリィっっ」
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 ミリィの叫びが、周囲に響き渡る。
 体の奥から叫ぶ、拒絶の声。
 バーンは、只その小さな体を抱きしめる事しか出来なかった。
 記憶を作り変えられ、自分と係わる人達を殺され。
 全ての元凶が、今まで信じてきた人物にあるのだ。

「ミリィ…。何を泣いているんだい……。ああ、コイツ達が君を悲しませているのか…。安
 心して。今すぐ、殺してあげるからね。君を悲しませるモノは全て、殺してあげよう」

 焦点のあわない瞳で微笑む。
 その姿は、狂気そのものだった。

「…コイツ、こんなにイッちゃってる奴だったか?」
「サイコを使用した時点で、精神の何処かは狂っている。ただ、それが今まで目立たなかっ
 ただけだ」

 だが、先程まではどう見ても通常の精神状態に見えた。
 何かが原因で、今まで保っていた心のバランスが崩れたのか。
 おそらく、その原因はバーンにあるのだろう。
 ミリィが兄と慕い、無邪気な笑顔を見せた相手だから。
 きっと何処からか、庭で仲良く語り合っている二人の姿を見てしまい、心が壊れて行った
 のだ。
 愛しいから。
 狂ってもいいほど、ミリィが愛しかったから。
 その気持ちは、痛い程キースにもわかってしまう。
 だからといって、同情する気はおきないけれど。

「ミリィ…」

 愛しそうに、フレイが名を呼ぶ。
 だが、ミリィはバーンにしがみ付いたまま、目を閉じて震えている。
 それがフレイには気に食わない。
 近づこうと一歩踏み出したと同時に、

「っこの、いい加減にしろっっ」

 キースは、フレイの周囲に氷柱を発生させた。
 行く手をさえぎられて、フレイはキースを睨み付ける。

「邪魔をしないでもらいたい…」
「悪いが、こちらもコレが仕事なのでね」
「…ミリィが私を待っている」
「いい加減にしろ。そのままだと、心どころか体も崩壊してしまうぞ」

 キースは苦々しく忠告する。
 例えサイコに適応した体を得たとしても、心が完全に崩壊してしまうと、それに連られる
 かのように、体も崩壊していく。
 僅かに残っていた心で超能力を支配しているため、心が崩壊すると力が暴走し、体が受け
 付けなくなってしまうのだ。
 自分達は、今まで何人もの、崩壊していく姿を見ている。
 それは、とても後味の悪いものだ。

「ミリィ…」

 だが、キースの忠告も聞かず、フレイはミリィに近づこうとする。
 キースが何か行動を取ろうとしたその時。

「来ないでっっ」

 ミリィの叫びが聞こえた。

「嫌っっ。こっちに来ないでっっ」

 泣きながら、ミリィは絶叫している。

「ミリィ…。どうしたんだい……?私と君は、ずっと一緒にいるって約束したじゃないか。
 君を傷つけるモノから、君を守るって……」
「知らないっっ。そんな約束していないっっ」

 ミリィが叫ぶたびに、フレイの様子が変化していく。
 まるで、今まで動いていた人形の螺子がゆっくりと止まっていくような。

「…バーンっっ。ミリィを黙らせるんだ」

 キースが何かに気づき、叫んだが。

 

 


「貴方なんか大ッ嫌い。死んでしまえばいいんだっっ」

 

 

 

 それも間に合わず、ミリィは言ってしまった。
 本当にフレイを殺してしまう言葉を。

「み…ミリィ……」

 その言葉を聞いて、フレイの動きが止まった。
 虚ろな瞳からは一筋の涙が流れ、ただミリィを見ている。

「どうしてなんだい…。私は今まで君のためだけを考えてきたのに…。君が望む事は、全て
 適えてあげたというのに……」

 キースとバーンは息を呑んで、目の前の光景を見ていた。
 まるでひび割れた陶器のように、フレイの体に亀裂が走って行く。

「崩壊…している……」

 ゆっくりと。
 ゆっくりとフレイの体が崩れて行く。

「愛…している……よ。私の……愛しい……天…使。だから……私を…拒絶しな……いで」

 そう言って、もはや原型を留めていない手を差し伸べるが。
 ミリィはフレイを見ようともしなかった。

「あ…ああああ…あ……」

 泣き声とも、呻き声とも区別のつかない声を出して、フレイは崩れて行った。
 何の痕跡も残さず。
 ただ、崩れて行った。
 それから暫くの間、フレイがいた場所を眺めていたが、レオンがこちらに来るのを見て視
 線をずらせた。

「…終わったのか?」

 小さな声でキースに尋ねる。

「表向きには……ね」

 そう言ってキースはレオンから離れて、バーンの元へと歩いて行く。
 残されたレオンは紫煙を漂わせ。
 雲一つない青空をただ睨み付けていた。













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