次の日。 二人はレオンに呼び出され、再び警察署を訪れていた。 一昨日できなかった事情聴取を本日行うために、少し立ち会ってもらいたいというのが、 警察の要望だった。 というのは建前で。 実際の所、二人にフレイのサイコパターンが、殺害現場にあったものと一致するかどうか 確認してもらうためだった。 カルロが行った調査の結果は、既にレオンの耳にいれている。 それを聞いたレオンは、先日キースに渡した名刺から何かわかるのではないかと思ったの だが、名刺からは痕跡が見つからず、ならいっその事、本人に直接会って確かめようという 事になったのだ。
「だけど、どうやって確認するんだ?超能力使わないとわかんねーだろ」 「何かの弾みに使うかもしれないだろ?まあ、念の為だよ」 「それにさぁ、部外者の俺達がいていいわけ?ミリィ達は、俺達がサイキッカーだって知ら ないんだろ?」 「だけど、警察関係の人間だと思っているらしいから平気さ」
確かに、最初に出会ったのがこの警察署の中なので、そう思われていてもおかしくないだ ろう。 善良なる一般市民ならば、一生お世話にならない場所なのだから。
「それに、あの嬢ちゃんが、お前に会いたがってんだ」 「…ミリィが?」 「お前の方が、あの子から上手く話が聞き出せるだろ?」 「…………わかった」 「それじゃあ、今部屋にいるのはフレイの方なのか?」 「ああ。嬢ちゃんなら、この奥の休憩所にいるよ」 「バーン。フレイの方は僕が見ているから、君は彼女の所へ行っておいで」 「うん…」
確かに自分一人の方が、ミリィも安心してくれるだろう。 そう考えてバーンは、ミリィの待つ場所へと歩いていった。 残された二人は、バーンの姿が見えなくなるまで、無言で見送る。
「……で?」 「何だ?」 「何かわかったから、バーンを彼女の所へ向かわせたんだろ?」 「お前こそ。アイツに聞かせたくない事があるんだろ?」
お互い考えていた事は同じだったので、顔を見合わせて苦笑する。 レオンは煙草を取り出し、マッチで火をつける。
「ライターは使わないのか?」 「あれは駄目だ。煙草が不味くなる」 「そうか」 「吸うか?」
そう言って、煙草をキースに差し出す。 それを無言で受け取ってゆっくりと口に咥えると、レオンがつけてくれたマッチの炎に近 づける。 紫煙が、ゆっくりと二人を包んで行く。
「フレイは今何処にいるんだ?」 「この隣の部屋だ。今、俺の部下が話を聞いている」
そう言うとレオンは壁際に近づき、そこに掛けてあった額縁を外す。
「ほう…。これはまた素晴らしく古典的な手段だな」 「こういった時代にはな、古典的な方がわかりにくいんだよ」
その壁には一つの窓が取り付けられていた。 その窓の向こうに二人の刑事と、フレイがいた。 部屋は落ち着いた感じの応接室で、とても容疑者が尋問を受けているような雰囲気は見ら れない。
「一応今回は、被害者の話を聞くだけだからな」
変に怪しまれても困るという事だろう。 こちらからは向こうの様子が見て取れるが、向こうはこちらに気づいていないようだ。
「マジックミラーか…」 「古典的だろ」 「ここまでくると感動するね」
それを聞いてレオンは低く笑う。
「…昨日のヤツなんだけどな」
煙草の煙をゆったりと吐き出し、レオンは本題に入る。 昨日、教会を訪れた後、キースはレオンに連絡を取っていた。 フレイに関する情報を提供した後、フレイとミリィについて調べてほしいと頼んでいたの だ。
「あの後気になる事があったんでいろいろ調べてみたんだが、おもしろいモノを見つけた よ」 「おもしろいもの?」 「当時、フレイが勤めていた病院で惨殺事件があったらしい」 「……らしい?」
そのニュアンスに、キースは怪訝な顔をする。
「俺もよくわからねーんだよ。一応警察沙汰にはなったらしいんだが、何処からかの圧力が かかってマスコミや一般大衆には知らされなかったそうだ」 「そんな事件、よく知っていたな」 「人の口に戸はたてられないってね」
おそらく、レオンの持つ情報機関が調べてくれたのだろう。 つくづく、よくわからない男だと実感する。
「それで、その事件って言うのは…」 「ああ。当時、病院に勤めていた医者が殺されただけなんだけどな。どうも殺され方が異様 だったらしい」 「異様?」 「今のところ、その死体状況まではわかっていない。わかっているのは、常識に考えても、 普通の人間では出来ない殺し方だったという事」 「……超能力…か?」 「フレイが去ったのは、その事件の直後だそうだ」
そう言って、レオンは窓越しにフレイの姿を眺める。
「あんな、いかにも医者やっています。って顔をしているのにな」 「まだ確証したわけじゃぁないんだろ?」 「四年前の事件はな。あの時は何処かのお偉いさんが守ってやったからな」
キースにも、それは薄々感じていた。 あの後、『ノア』の端末で調べていると、フレイがいた病院は国の保護下にあった。 実際、そこに捕らわれていたサイキッカーの存在も確認されている。 事件が表沙汰にならなかったのも、国が黙認していれば仕方がない。
「だけど、今は違う。国はサイキッカーの人権を認めた。不安要素も多いのは確かだが、サ イキッカーは国の保護下にある。今回の事件が奴の仕業だとしても、今回ばかりは後ろ盾が ないからな」
自分達が起こした事件の後。 国や軍は、自分達の配下だったサイキッカー達に裏切られた。 手引きしたのはもちろんあの男だ。 リチャード・ウォン。 軍に利用価値がなくなったとみると、サイキッカーに関する情報とデーターを全て壊し、 軍にいたサイキッカー達を連れて姿を隠した。 製造されていた『サイコ』を全て持ち出して。
「所で、お前の方は何がわかったんだ?」 「ああ…。わかったといか、想像でしかないんだが…」
キースが口を開いた時、隣の部屋で動く気配がした。 見ると、フレイと一緒に一人の刑事が部屋を出て行く所だった。
「何してるんだアイツら」
コンコン、と窓を叩き、残っているもう一人の刑事を呼ぶ。 その刑事は窓に近づき、鍵を開けた。
「どうしたんだ?」 「はい…。トイレに行きたいと言ったので」 「トイレぇ?まあ、断るわけにもいかねぇしな」 「一応、案内するという名目で監視していますが」 「様子を見てこよう」
その会話を聞いて、キースは後を追うように部屋を出て行く。 いくらなんでも、このような場所で何かを起こすとは考えられないが。 まるで予知のように。 キースは何だか嫌な予感がした。
休憩所に行くと、そこには車椅子に乗ったミリィがいた。 何か本を読んでいるようで、バーンが来た事にも気づかない。
「ミリィ」
声をかけると、ミリィは振り返ってバーンの姿を確認した。
「お兄ちゃんっっ」
途端に、明るい笑顔で答える。
「何読んでいたんだ?」 「えー?只の少女小説だよ。どうして?」 「ん。何か凄く真剣に読んでいたから」 「へへ…。私ね、本読んでいる時って熱中しすぎちゃって、周りが見えなくなっちゃうから ……」
少し照れたように笑う。 こうしていると、まるで昔に戻ったような気がするのに。 バーンの心は、何ともいえない感情がグルグル回っている。
「先生はまだお話中なの?」 「ああ。だからその間、俺がミリィの相手をしてやるよ」 「本当?」 「もちろん。何なりと御用を申し付け下さい、姫様」 「やだぁ、変なの」
お互い顔を見合わせて、クスクスと笑い会う。
「あ、そうだ。さっきここに来る時に庭を見たらね、凄く綺麗な花が咲いていたの。一緒に 見に行かない?お兄ちゃん」 「庭かぁ」
別に、この署内にいろとは言われていないので、少しくらいなら外に出ても平気だろう。 それに外にいるほうが、ゆっくりと話も出来る。
「よし、一緒に見に行くか」 「うんっ」
バーンはミリィの車椅子に手を掛けると、ゆっくりとそれを押し出した。
「お兄ちゃんに押してもらうなんて、思ってもみなかった」
無邪気な言葉に、バーンは疑問に思う。 そういえば。 どうしてミリィは車椅子に乗っているのだろう。 確かレオンが、事故にあって両足が動けなくなったと言っていたが。
「車椅子…何時からなんだ?」 「んー?私もよく覚えてない。確かお兄ちゃんとわかれて直ぐだったと思うけど」 「だったら四年前かな」 「もう、そんなに経つんだ」
何となく、感慨深く言葉を紡ぐ。 こうやって会話をしていると、とても惨忍な事件で巡り合ったなんて信じられない。
「事故にあったって、レオンから聞いたけど…?」 「そう。あー、もう最悪だよねぇ。道を歩いていたら、いきなり車に突っ込まれちゃったん だもん」
そんな会話をしているウチに、目的地に着いた。 そこには、署内の誰かが管理している幾つもの花壇があり、色とりどりの花が咲き乱れて いた。
「ね?すっごく綺麗でしょ?」
とても嬉しそうに微笑む。 だけど何だろう。 その笑顔を見ていると、とても泣きたくなってしまうのは。
「後で先生にも見せてあげよ」 「…あの先生とは、何時から一緒にいるんだ?」 「事故にあった時からよ。先生が私の主治医だったの」 「え?」
妙な話の食い違い。 確かミリィがフレイに出会ったのは、風邪をひいて高熱を出したために、シスターが連れ て行ったからだ。 事故なんかじゃない。 バーンは激しい動揺を覚えたが、それを表に出さなかった。
「先生ね、私の足を絶対に直してあげる、って言って、私の為に病院を変わってくれたんだ よ。今いる病院の方が、充分な設備があるからって」 「…凄い先生だな。普通なら、そんな事しないぞ」 「でしょ?先生ね、私の事が大好きなんだよ」
とても嘘をついているとは思えなかった。 ミリィは本気で、自分が事故にあってフレイに出会ったと思っている。
「それで先生ね、きっと会いたいだろうから。って必死になってお母さんを探してくれたの。 ずっとずっと探していて、やっと出会えたと思ったのに……」
涙を浮かべて、儚げに微笑む。 バーンは、何時もキースが自分にするみたいに、ミリィの頭を優しく撫でる。 だが、心中は穏やかではなかった。 こういう事はあるのだろうか。 記憶の食い違い? 確かに自分達は、シスターの話でしか事実を知らない。けれどシスターが嘘をついている とは、とても思えなかったしそんな素振も見せなかった。 だけどそれは、ミリィも同じで。 双方が真実を語っている。 ふと。 バーンは、以前キースが言っていた事を思い出した。
『人間の記憶ほど、あやふやなものはないよ』 『記憶というものは、時間が経てば経つほど、色褪せ薄れていく。そしてそれを補おうとし ていくうちに、人は記憶を捏造していくんだ』 『よく言うだろ?他人の行動を誰かに話しているうちに、まるで自分がそう行動したかのよ うな錯覚を覚えるって』 『それを利用すれば、人の記憶なんて幾らでも作り出せるんだ』
記憶が作り変えられている。 その考えに行き当ったバーンは、瞬間背筋に寒気が走った。 この場合、どちらがそれに当てはまるかは一目瞭然だ。 教会には。 ミリィの小さな墓があった。
「お兄ちゃん?」
様子のおかしいバーンを心配して、ミリィが声をかける。
「どうしたの?気分でも悪いの?」 「……いや…。何でもないよミリィ…」
そうは言ってみたものの、声を出すだけで精一杯だ。 妙に喉が乾いて、心音が破裂しそうな程煩い。
「本当に?本当に大丈夫?お兄ちゃんまで何かあったら嫌だよ」
その言葉を聞いて、バーンは胸が占め付けられそうだった。
「大丈夫だって。俺は、ミリィを悲しませる事はしないよ」 「本当?」 「もちろん」 「ずっと側にいてくれる?」 「ああ」
その言葉を聞いて、ミリィは最高の笑顔で答えた。
「お兄ちゃん大好きっ」
その瞬間。 激しい殺意をバーンは感じ取った。 何かが来るっっ。 それが何かはわからないが、本能が警戒音を鳴らしている。 考える前に、バーンはミリィを抱えてその場所から離れた。 直後。 今まで自分達がいた場所に異変が起きた。 地面が抉れ。 まるでそこの空間だけが別物みたいに歪んでいる。
「……やだ…。何…これ……」
目の前の光景を見て、ミリィは震えながらバーンに縋りついた。 持ち主を失った車椅子が、音もなく拉げていく。 ミリィを抱きしめながら、バーンは頭上を見た。 先程の尋常ではない殺気。 その出所には、こちらを無表情で眺めているフレイがいる。
「………アイツ…」
フレイはゆっくりと窓枠に足を掛けると、四階からバーン達のいる庭まで飛び下りた。 普通の人間では下手すれば大怪我をする高さを、フレイは無傷で降り立つ。 その時感じた、力の波動。 それは、殺害現場に残っていたモノと同じだった。 間違い無い。 この男が犯人だ。
「ミリィ…。良い子だから、その男から離れなさい」 「せ…先生……?」
ゆっくりとフレイが二人に近づいて来る。
「早く離れるんだ」
そう言ったフレイの瞳は、もはや正気ではなかった。 サイコ使用者における心の崩壊が始まっている。
「ミリィ……。俺から離れて…」
おそらく、殺意を向けているのは自分一人だけなのだろう。 フレイはミリィに対して、強い執着心があるようだ。 離れていれば、少なくともミリィに危害は加えないはず。 だが、ミリィは震えたままバーンの服を捕まえて離さない。 恐怖のために、体が強張ってしまったのだろう。声さえ出せないようだ。 このままでは拙い。 ミリィが側にいると、危なくて炎を生み出す事が出来ない。 その間にもフレイは、少しずつ距離を縮めてくる。 どうする。 どうすればいい。 必死に対抗策を考えていた時。
「バーンっっっ」
キースの声が頭上から聞こえてきた。