扉が開かれると、その部屋の中には見知った顔がいた。

「待たせたか、カルロ」
「いえ。ちょうど準備が整ったところです」

 そう言ってカルロは席を立ち、キースにその場を譲る。
 少し肌寒い部屋の気温に、バーンは少し震えた。
 ここは『ノア』の施設内にある研究所。
 精密な機械類が数多く揃えているので、機械を保護するために冷房が効いているのだ。

「なぁキース。ここに来て何するつもりなんだよ」
「もちろん調べモノをするためさ。カルロ、用意してくれ」
「はい」

 そう言ってカルロは、部屋の中心に設置している機械を作動させた。
 この機械は一体何だったっけ。
 バーンは、以前キースから説明を受けたような気がする機械を眺めた。
 小さな台の上に、硝子のケースが置かれており、そのケースに向けて幾つもの照明が当て
 られている。

「キース様。それでは、その上に置いてください」
「わかった」

 キースは、硝子のケースに手を触れたかとおもうと、すぐに離した。
 何をしているのだろう一体。

「時間はどれぐらいかかる?」
「そうですね。これでしたら、たいした時間はとらないと思います。その間、少し休まれた
 ほうがいいでしょう。何しろ、今日もあの警部に呼び出されてしまいましたからね」

 前半の言葉に労りを。後半の言葉に怒りを込めてカルロは言う。
 あの警部とは、もちろんレオンの事だ。
 カルロにとっては『ノア』の総帥であるキースは、何よりも変え難い特別な存在だ。
 そのキースを、いいようにこき使っている…別にキースはこき使われているとは思ってい
 ないのだが、カルロビジョンで物事を見てみると、キースにそのような仕事をさせるだけで
 万死に値するらしい。
 そんなカルロに苦笑し、キースはバーンの方に振り向いた。

「何、そんなに難しい顔をしているんだ?」
「目の前で行われていた光景が一体何なのか、さっぱりわかんなくて途方にくれているんだ
 よ…」
「前、教えなかったかい?」
「忘れた」
「バーン。それは威張って言う事じゃあないと思うよ」
「ていうか、聞いてなかった」
「……バーン…」

 まあ、バーンに難しい話を理解してもらおう等と望む方が間違っているのだろう。
 それなのに時々、妙に人の心の核心に触れる事をサラリと言ったりするから侮れない。

「それじゃあ、食事でもしながら説明しようか。お腹すいているんだろ?」

 食事と聞いて、バーンの瞳は輝く。

「うんっ。そうしようぜっっ」

 キースの返事を待たずに、バーンは部屋の外へと歩き出す。
 そんなバーンを見て、キースは笑みを隠せない。

「相変わらず甘いですね」

 カルロが、やれやれといった感じで呟く。

「うん。自分でも自覚しているから、もうどうしようもないな」
「いいんじゃないですか?」
「そうかな?」
「ええ」
「それじゃあ待ち時間の間、バーンを思いっきり甘やかしてくるとしますか」

 そう言って、キースはバーンの後を追って部屋の外に出て行った。
 廊下に出ると、エレベーターの前でバーンが待っていてくれているのが見える。

「受講料のかわりに、何か奢ってやるよ」
「バーンが?珍しい事もあるもんだね」
「何時も奢ってもらっているばかりじゃあ悪いからな。今日は特別」
「それじゃあ、一番高いスペシャル幕の内御膳を……」
「……殴るぞ」

 開いたエレベーターに入りながら、軽い冗談を交し合う。
 こんなふうに。
 こんなふうに、何気ない会話をもたらしてくれるから、何時までたってもキースはバーン
 に甘いのだろう。
 食堂に着くと、夕食の時間より少し遅かったためか、中には数える程の人数しかいなかっ
 た。
 まあ、こちらの方が目立つ事もく、話しやすいので好都合なのだが。
 バーンはミックスフライ定食を、キースはカルボナーラと有機野菜のサラダを手にし、奥
 の窓際の席を陣取った。
 暫くの間、お互い無言で食事をとる。
 食事をしているバーンに何を言っても無駄だという事は、長年の付き合いにより熟知して
 いるからだ。

「それでさぁ」

 目の前の定食を早々と片付けて、お茶を飲みながらバーンが問い掛ける。

「さっきのは、一体何だったわけ?」
「ああ。あれは、遺伝子の配列を調べる機械だよ」
「は?」
「普通の人間と、僕達サイキッカーとの遺伝子が、微妙に違っているのは知っているよね」
「少しは…。具体的な所までは知らないけど…」
「専門家が見ても見落としてしまうような、ほんの僅かな違いなんだけどね」

 そう言ってキースは、食後には必ず飲む紅茶を口にした。

「だけど、その僅かな違いで、人間は超能力を得てしまうんだからすごいよ」
「確か、それを応用して人造サイキッカーを作ったんだったよな」
「そう。サイキッカーの遺伝子配列をコピーしてしまえば、サイキッカーはいくらでも作り
 出せる。だが、これには莫大な費用がかかるため、大量生産は出来ない。そこで、登場した
 のが『サイコ』だ。これは低コストで多くのサイキッカーが生み出せるからね」

 従来なら、サイキッカーの遺伝子配列をコピーしてサイキックドールを作ったり、以前軍
 にいた闇使いの男のように、自らの遺伝子配列をサイキッカーの遺伝子配列と同じようにし
 て、超能力を使えるようになったりするものなのだ。
 だが、これには莫大な費用がかかるわりには、生産量が極端に少ないのだ。

「サイコを使った者が、何故超能力を得る事が出来るか知っているかい?」

 突然の質問に、バーンは考え込む。
 サイコで超能力が得られるワケ?
 超能力は遺伝子の配列によって得られるワケだから…。

「………………その薬で、遺伝子配列を変えてしまうのか…?」
「大変よく出来ました」

 軽い拍手をして、賞賛の言葉を送る。
 実際は頭を撫でて、良い子良い子としてあげたいのだが、さすがにそこまですると怒られ
 るので止めておく。

「サイコは使用すると、自分の持っている遺伝子の配列を変えてしまうんだ。それを使用す
 るだけでだ。本来ならば、拒絶反応や副作用など入念に調べなければいけない事なのにね。
 言わば、自分の体が内から作りかえられていくようなものなのに」
「だから死者が多いのか…」
「そう。壊れていくんだよ。内から」

 それを聞いて、バーンは悪寒を覚えた。
 自分は、偶然にも覚醒してしまったから、自分の体の中でそのような変化も何も感じなか
 った。
 ただあったのは、どうしようもない熱さ。それだけだ。

「でも、適応者というのも確かにいる。激しい自己の体の暴走に耐えて超能力を得た者がね。
 たとえそれが、限られた期間の間だけだとしても」
「でも、それとあの機械と何の関係があるんだ?」
「たとえ無事に、遺伝子変換が行われたとしても、強制的に行われたその行為には粗が目立
 つ。故にサイコ使用者には、人間でもサイキッカーでもない、特殊な遺伝子を持っているん
 だ」
「それを調べるのが、あの機械…?」
「そう。サイキッカーである僕達だから出来る仕事だろ?」

 確かにそれは言えていた。
 サイキッカーである自分達なら、サイコ使用者のあたりもつけられるし、遺伝子を調べる
 にしても、自分達の遺伝子をサンプルとして提出すれば、簡単に区別がつく。
 そこで、ふとバーンは考えた。

「あれ?という事は、さっきのも誰かの遺伝子を調べていたわけか?」
「そうだよ。そのための機械なんだしね」
「え?でも一体誰の……」

 突然、バーンの脳裏に今日の出来事が再生される。
 警察署で、ミリィとフレイが立ち去ろうとした時、キースはフレイとぶつかった。
 何時ものキースならば、簡単に避けられるであろう距離だったのに。

「っっっっっお前、まさかあの時……」
「今の所、こういった芸当できるのは僕だけだろうね」

 悠然と微笑んでキースは言う。

「お前…すっげー怖い……」

 そう。
 キースはあの一瞬の間に、フレイの遺伝子を採取していたのだ。
 まるでスリみたいな早業だと、バーンは感心する。
 それでは、現在あの機械にかけられているのは、フレイの遺伝子なのか。
 あれ?という事は……。

「…まさかフレイが、サイコ使用者だって言うのか?」
「僕もそこが知りたいんだ」
「ちょっと待てよ……」

 だとしたら。
 だとしたら、フレイがミリィの母親を殺したのか?
 あんな惨忍な方法で?
 いや、それ以前に。

「ミリィは……」

 そこまで口にして、バーンの思考は固まる。
 フレイの患者であるミリィ…。現在、保護者代りとしてフレイは彼女の側にいる。
 困惑しているバーンを見て、キースはゆっくりと口を開く。

「明日、その孤児院に行ってみないか?」
「え?」
「何故、彼女は四年前に死んだと思われていたのか調べたいんだ」

 バーンを気遣うように、キースは言う。
 この結果によっては、バーンが傷つくのではないかと考慮しているからだ。
 その心がわかって、バーンは小さく微笑む。

「ああ。いいぜ」

 真実が知りたいのは、バーンも同じだった。





 

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