解放戦争が終了して一ヶ月が経とうとしていた。
 以前のような日常には程遠いが、人々は少しづつ平穏に戻ろうとしている。
 フリックは部屋の窓から、ぼんやりと外の風景を眺めていた。
 何もせず、ただ一日が終わるのを見ている日々。
 そんな生活が一ヶ月も続いていた。
 最初は、闘いで出来た傷を癒すための安静期間だったのだが、その傷も治りかけている今、
  何時までもこのような怠惰な生活を送っているわけにもいかない。
 だが、フリックは何故か行動を起こす事ができないでいる。
 愛しい人を亡くし、やるべき事をやりとげてしまった今、何もかもが抜け落ちてしまって
  自分がこの先どうしたらいいのか、わからなくなってしまっていたのだ。

(だからといって、このままでいるわけにもいかないしな…)

 一応、危機感というかそういったものは感じているらしく、ぼんやりとしつつも、いろい
  ろ考えてみたりしている。
 だけど。
 その思考のどれにも、心に触れるものがない。
 これからの事だし、もう少し真剣にならないといけないとは思うのだが、どうしようもな
  いぐらいに、やる気が起きない。

(やっべーなぁ…)

 どうしようもない漠然とした不安だけが。

(自分で、どうしたらいいかわかんねーなんてさ…)

 ぐるぐると体中駆け巡る。
 何と言えばいいのだろうか。
 思考の鎖に捕らわれて身動きが出来ないというような。
 どうしようもなくて、自分自信が嫌になってくる。

(ああ…深みにハマッているよ俺……)

 一度はまるとなかなか抜け出せない、底無しの泥のような気分だ。
 その時、騒々しい足音と共に、勢い良く部屋の扉が開かれた。

「フリックー。飯だってさ」

 明るい声が自分に向けられる。
 解放軍の時からの腐れ縁の相手。
 最後の闘いの時に一緒に脱出し、フリックと同様、療養のためにこの村で一ヶ月ほど世話
  になっている人物がそこに立っている。
 今まで静かだった部屋が、途端に騒々しくなったは気のせいではないだろう。

「…ビクトール……。お前なぁ、部屋に入る時はノックしろって言っただろ」
「ん?そうだったか?悪ぃ悪ぃ」

 全然悪びれている様子もなく謝るその姿に、フリックは溜息をつく。

「それより飯だってば。早く行こうぜ」
「…いらねぇ」
「はぁ?」
「食欲ねぇの」

 フリックの科白に、ビクトールはきょとんとしている。
 無理も無い。
 ビクトールにとって食事とは、此の世の喜び。
 それなくしては、生きている意味さえないモノ。
 それなのに、この目の前にいる男は何と言ったか。

「…信じられねー」

 ビクトールの正直な感想だった。

「何だよ?何処か具合でも悪いのか?」
「別に…。とにかく俺はいいから、お前だけでも食ってこいよ」
「よくねーだろっ。お前ただでさえここんとこ最近、ろくに食ってないだろーが」

 ビクトールの言葉に、フリックはよく見ているなぁ、と思った。
 そう考えてから、昔からこの男は他人にたいして、妙に気を使うところがあった事を思い
  出す。
 確かに、ここ数日食欲がない。
 というよりも、食べる気がしないのだ。
 人間の三大欲まで感じなくなってしまっているとは、本当に末期の症状だなぁ、と自分自
  信の事ながら感心してしまう。

「フリック?」

 突然黙り込んで、ぼんやりとしているフリックを見て、ビクトールは心配そうに声をかけ
  る。
 呼ばれて、フリックは目の前の男の姿を見た。
 生命力に溢れているその姿。
 何でコイツは、こんなにも元気なんだろうかと考える。

「…お前さぁ」
「……何?」
「何でそんなに元気なわけ?」
「はぁ?」

 突然の質問に、ビクトールは間抜けた声で返事をしてしまった。
 無理もない。
 あまれにも呆けた質問故に、何を言われたのか理解出来なかったのだ。

「…元気だったら駄目なのか?」

 しかし、こちらも呆けた返事をする。

「いや…悪くない」
「だったら、いいじゃねーか」
「……まあな。そうなんだけどな…」

 そう言って、フリックは視線を窓の外に移す。
 村の中央にある広場には、幾人かの子供達が遊んでいて、賑やかな笑い声がここまで聞こ
  えてくる。

「……子供はいいよなぁ」

 ポツリと呟く。

「将来に何の不安も感じないで、生きていられて」

 そう言ったと同時に、頭部に強い衝撃を受けた。
 痛む頭部を押さえて視線を戻すと、そこには握り拳をつくったビクトールが立っていた。

「何するんだ、いきなりっっ」
「お前が阿呆な事言うからだろ」
「何だよそれっ」
「自覚ねーのか?だったら重症だな」

 ビクトールは、やれやれといった感じで溜息をつく。

「子供だろーが大人だろーが、不安のない人生なんか無いだろ?そんな事もわかんねーワ
  ケ?」

 真っ直ぐに自分を見つめて言う。
 その子供のような瞳。
 真っ直ぐすぎて、今の自分では直視できないような気がする。

「お前も不安になったりするわけ?」

 およそ、そういったものから無縁と思われるこの男。
 この人物にも、今の自分と同じ幹嬢を持つ事があるのだろうか。

「この先、どうしたらいいのか考えているのか?」
「全然」

 へろっ。と言われて、フリックは眩暈を覚えた。
 今なら、コイツ殺してもいいんじゃないかなどと、不吉な事も考えてしまう。

「だって考えても、何したらいいのかわかんねーもん。とりあえず敵討ちも済んだ事だけど、
  いきなり次にする事は?て聞かれて直ぐに思いつくわけねーじゃん」
「…確かに」

 それは、今まで自分が考えていたのと同じ事だった。
 自分は、その思考に捕らわれて何も行動出来ないでいたが。

「だからさ、今は御試期間だと思うわけなんだよ。とりあえず、日々生きてみて、その中か
  ら時分のやりたい事とか見つけていこうかなぁ、ってさ」
「…何も考えていないだけじゃねーのか?」
「考えてもわかんねー時は、無理して頭使う事ないと思うだけだよ」

 何ていうのか。
 この能天気という言葉がピッタリとくる考えに、フリックは溜息をつく。
 だけど。
 何故だろう。
 妙に心の何処かが軽くなっているかのような、この感覚。

「必死に毎日を生きていたら、そのうちに自分のやりたい事ぐらい、直ぐに見つけられるさ」
「そう都合よくいくか?」
「そう都合よくいかせるために、行動するんだろ?」

 その言葉にフリックは笑う。
 ここまで、人生について軽く答える奴もいないだろう。
 けれど逆にそれが心地良い。
 心の靄が晴れていくようだ。

「それじゃあ、今やらなきゃいけない行動って何だと思う?」

 フリックの問いに、ビクトールは満面の笑顔で答える。

「決まってるだろ?飯だよ飯っっ。食堂のおばちゃん待ってるぜ」
「そうだな」

 そう言って、フリックは椅子から立ち上がる。
 今まで重かった体が、妙に感じられた。
 何か行動を起こしたくて、心の奥底でウズウズしている。

 

 

 


「明日さぁ」
「何?」
「ここの宿、引き払おうと思うんだ」
「あー…、そろそろ金もつきてきたしなぁ」
「傷の具合も、もう充分だし」
「何処に行こうか?」
「何処へでも」