「一体どういう事なんだ、あれはっ」
 突然ものすごい勢いで、ピコはフリックに詰め寄った。 
 フリックは、読んでいた本を閉じながら、一体これで今日は何人目だと思いながら、とう
 とう保護者が来たかと、内心溜息をつく。
「まあ、落ち着けピコ」
「これが落ち着いていられるかーーーっっ!」
 冷静なフリックに対して、ピコは慌てふためいている。
 まあ、気持ちはわからないでもないが。
「とりあえず座れば?立ったまま話してもしょうがないだろ」
 そう云って、正面に置いてある椅子を示した。
 ピコは、まだ何か云いたそうだったが、フリックの言われるままにおとなしく椅子に腰掛
 ける。
「何か妙に落ち着いてるな、お前」
「十人」
「はぁ?」
「今日、俺の所に訪ねて来たのは、お前で十人目だ」
「なるほどな…。て事は、俺が何を云いたいかは、知っているんだよな」
「何で皆、わざわざ俺の所まで聞きに来るんだ」
 フリックは溜息をついて、窓の外を見る。
 戦闘のない、貴重な平和の一時。穏やかな昼下がりの中、その光景は異様に浮いていた。
 中庭にある大きな樹木の下に、二人の人影が見える。
 今、城中を震撼させ、フリックのもとに何人もの質問者が訪れる原因を作った諜報人達。
「何やってるんだか。あのバカ熊は」
 そこには、ビクトールとアンネリーが仲良く談笑している姿があった。
 熊と歌姫。
 その考えられない組み合わせに、人々は驚愕し首を傾げた。
 ある者は目の錯覚だと思い込んで現実から逃避し、またある者は、今のピコのようにフリ
 ックの元に押しかけ、強引に理由を聞こうとする。
 しかし、フリックとしてはいい迷惑だ。
「さぁ、フリック。説明してもらおうか」
 ピコのその言葉にうんざりする。
「…云っておくけど、俺はなーーーーんにも知らないからな」
「嘘じゃないだろうな」
「俺が嘘をついてどーするんだよ」
「長年連れ添った仲間の幸せを守るために、黙秘しているという話を聞いたぞ」
 どこからそんな話が出てきた。
「悪いけど、俺はそこまで優しい男じゃない」
「それはそうだが」
「何か言ったか?」
「…自分で言っておいて怒るなよな」
「他人に言われると腹立たないか?」
「んな事よりも、あの二人の事だよっ。お前、本当に知らないんだろーな」
 ピコは、まだ疑っているような目で見る。
「あのカップルについては、俺の方が聞きたいくらいなんだ」
 それはフリックの本音だった。その言葉を聞いて、ピコも何か納得したようだ。
「そうか……。すまない…」
「別に構わないさ。他の野次馬達と違って、あんたは保護者みたいなもんだからな」
「まあな」
「そういや、もう一人の保護者はどうした」
「アルバートは、運良くサウスウィンドゥまで出かけている。新しい弦を注文していてね」
「そりゃ、運が良かったな」
「でも、どのみち後で知る事になるんだろうから、結局は一緒って事だよ」
「確かに」
 二人は黙って、窓の外を見る。
 そこには相変わらず熊と歌姫の姿があり、お互いとても楽しそうに見えた。
 一体、
「何を話しているんだろ」
 一瞬、自分の考えていた事が口に出てしまったのかと焦ったが、どうやら先程の言葉はピ
 コが言ったモノのようだ。
「さあな。知りたければ、本人に聞けば?」
 知りたいのは自分も同じなのだが、そんな事は微塵も出さない所は、さすがはフリックと
 しか云いようがない。
「本人に聞けたら、わざわざお前の所にまで聞きに来ると思うか?」
「そりゃそうだな」
「もしも、アンネリーに聞けたとしても、私生活に口を挟みすぎだって嫌われるかもしれな
 いし…」
「相変わらずの過保護ぶりだな」
「何とでも言え。俺はアンネリーに嫌われるのが、何よりも堪えるんだ」
「それは、俺も同じだよ」
 種類は違えど、同じ悩みを抱えた男二人の背中には、哀愁という二文字が背後霊のように
 覆い被さっていた。

 

 

 

 

「最初は意外だなぁ。って思っていたんだけど、よくよく見てみると、結構お似合いだった
 りするのよねぇ」
「そうそう。何か、美女と野獣の物語みたいでさ」
「この間もね、人気のない所で、二人っきりだったのよ」
「うーわー。何かもう、すっごいラヴラヴって感じー」
 煩い。
 フリックは、斜め前の席で盛り上がっている女子の集団を一瞥して、溜め息を吐く。
 何故、女というものは、ここまでゴシップネタが好きなのであろうか。
 唯でさえ、そういった話は好まないのに、話題の中心が、今城中で盛り上がっている二人
 の話となれば、フリックの機嫌も更に悪くなるというものである。
 それでも、徹底したポーカーフェイスは崩れていない。
 熊と歌姫の逢い引き(?)が目撃されて、早一週間。
 その間、二人は暇さえあればいつも一緒に行動していた。
 目撃情報や、真相追求の質問攻めにうんざりしていたフリックは、さすがに問いただそう
 としてビクトールに詰め寄ってみたが。
「秘密」
 とだけ言われてかわされてしまった。
 その直後、城の中に落雷があったのは言うまでもないが。
「……フリック」
 別にビクトールの秘密主義は今に始まった事ではない。
「フリック」
 だが、今回はそういうわけにもいかないと思うのは自分だけだろうか。
「フリックってば」
 いきなり頭に強い衝撃を受けて、フリックは我にかえった。
 顔を上げると、目の前には遠慮もなにもいらない間柄の、前リーダーが立っている。
「何、呆けてんの。ずっと呼んでいたのに」 
「悪ぃ…。考え事してたから……。けどな…アウラ…」
「何さ」
「お前、それで叩いたのか?」
 よく見ると、アウラは右手に新鮮な魚が大量に入っている籠を握っている。
「そだよ」
 ようするに、その籠を遠心力で振り回して、フリックの頭部にぶつけたわけで。
「叩かれた…というよりも、ブン殴られたわけね…」
「気づかないフリックが悪いんだよ」
 アウラは笑いながら、フリックの正面にある椅子に座って。
「ビクトールと一緒じゃないんだね。珍しい」
 いきなり、人が一番触れて欲しくない所をついてきた。
「……知ってて言ってるだろ」
「まぁね」
「からかいに来たのかよ」
「まさかぁ。からかうんだったら、もっと反応が楽しい奴をからかうよ。フリックってば変
 に無表情入るから楽しくないしぃ」
「それは良かった」
 本当に、心からそう思った。
「うっわムカつくー。せっかく良い情報を教えてあげようと思ったのに」
「良い情報?」
「ビクトールの事」
 その言葉を聞いて、フリックは反応した。
 はっきり言って、アウラが仕入れてくる情報は凄い。
 何がどう凄いのかは上手く言えないが、オニールやリッチモンドやタキ婆さんの情報より
 も、かなりコアな所に突っ込んでいるのだ。
 情報源は、もちろん極秘。
 しかも、それら全てをただ趣味のためだけに費やしているのだ。
 つくづく、敵に回すと恐ろしい人物だと思う。
「…ビクトールが……どうしたんだ?」
「教えてほしい?」
「是非」
「さっき、ルティカから聞いたんだけど、今夜お祭りやるんだってさ」
 いきなり話が飛んだ。
「……そんな話知らないぞ」
「僕も今さっき聞いたばっかだもん」
「で、それとビクトールとどういう関係が…」
「大人しく聞きなさいってば。何事も早い男は嫌われるよ。ああでも、フリックはその心配
 無いか」
 何故知っている。
 フリックは心の中で突っ込みを入れた。
 アウラ・マクドール。やはり侮れない男だ。
「でね。その準備でビクトールは今この場にいないわけ。何でも、この祭りをやろうと言い
 出したのって、ビクトールらしいよぉ」
 ビクトールはよく、皆に黙って宴会の準備をしたりする。
 皆の驚く顔が面白いとか何とか言って。
 今回も、それに似たような感じなのだろうか。
「その準備を手伝ってくれていたのが、アンネリーだったわけ」
 いきなり本題に入られた。
 フリックは咄嗟の事で、飲みかけていた酒が器官に入りそうになる。
 それを見てアウラは楽しそうに笑い、席を立つ。
「僕の情報はここまでね。後は自分の目で確かめなよ」
「お…おい、アウラ」
「今夜の祭りで、ハッキリわかる事だし」
 まだ何かを知っているといった顔で、アウラは笑う。
「でもまぁ、僕も鬼じゃないし、フリックの心労を少し軽くしてあげよう」
 いや。
 充分に鬼だとフリックは思う。
 敢えて口には出さないけど。
「ビクトールとアンネリーね。何の特別感情もないよ。大体、恋愛音痴の超絶鈍感熊が、そ
 んな事できるわけないし」
 酷い事をへらっと言う。
 しかし、それに関してはフリックも同意見なので何も言えない。
 特にフリックの場合は、ビクトールの鈍感ぶりには身をもって体験したものだから。
 という事は、あの二人には何もないのか。
 心の中で安堵するフリックに、アウラは鬼のような言葉をかけた。
「でも、これからどうなるかは、わからないけどね」

 

 

 

 

 

 日が暮れ、城中に明かりが灯された。
 何時もは静かな庭園も、今日は心地良い騒ぎに包まれている。
 人々の声。聞こえてくる音楽。
 突然知らされた祭りに、人々は存分に楽しんでいるようだ。
 空には大きな満月。
 月明かりが、真昼のように輝いている。
 その時、ステージの方から歓声があがった。
 見ると、舞台の上に歌姫アンネリーの姿が見える。
 アンネリーは軽くお辞儀をすると、そのよく通る優しい声で言った。
「今から、一つの歌を歌いたいと思っています。きっと、皆さんが初めて聞く歌。誰も知ら
 ない歌だと思います」
「新曲か何かかい?」
 人々から声がかけられる。
 その言葉にアンネリーはゆっくりと首を振る。
「この歌は、私達が生まれるずっと前からあった歌でした。だけど、皆さんはその歌を知り
 ません。私も、ある偶然がなければ、知る事はなかったでしょう。私は、この偶然に感謝し
 たいと思っています」
 誰もが、アンネリーの言葉を黙って聞いていた。
 まるで、厳粛な儀式を見ているかのように。
「……昔、この土地には、伝統的な春を迎える祭りがありました。寒い冬が終わり、春の気
 配を感じる満月の夜に行われていたそうです。そう…まるで今夜みたいな月の夜に」
 人々は頭上を見上げる。
 空には、大きな満月。
「今から歌う歌は、その祭りで歌われていた曲です。今は無い失われてしまったこの曲を、
どうしても今夜、私達は知らなければいけないと……そう思うのです。聞いてくれる…だけ
でいいんです。聞いて…この歌の存在を知っていてくれるだけで……それだけで…」
 昔。
 ここには多くの人々が住んでいた。
 とある惨劇により、失われてしまった街。
 もう。
 名前も何も残されていないけど。
「私達は…そこにいた人々を想えるから…」
 たとえ名前を忘れても。
 そこに誰がいたかななんて知らなくても。
 ここに確かにいたという事実。
 ピコとアルバートが曲を奏で始めた。
 アンネリーは息を大きく吸い、歌い始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

「アンネリーの声だ…」
 ビクトールは暗い地下墓地の中で、その声を聞いた。
 聞き覚えのあるメロディ。
 懐かしい歌。
「…さっすが歌姫だな。ディジーより何倍も上手いんじゃねーか」
 笑いながら、目前にある墓を見つめる。
「……でも、ディジーの歌も負けてねーよ」
 そう言って、ビクトールは持ってきたグラスにワインを注ぎ、墓の前に供える。
 そして自分の分にも注ぎ、軽い音をたててグラスを交わす。
「祭りの夜に飲む酒は、神様の贈り物なんだよな」
「だったら、俺にもお裾分けしてくれないか?」
 突然声をかけられて、ビクトールは驚いた。
 慌てて振り返ると、そこにはフリックがちゃっかりと自分の分のグラスと、何処からかせ
 しめてきた食料を手に立っている。
「な…何でお前、こんな所にいるんだよ」
「ん?お前探していたら、ここに辿り着いただけだよ。それより、俺にはくれないのか?」
「何が?」
「神様の贈り物」
 そう言って、グラスをビクトールに差し出す。
 ビクトールは黙って、そのグラスにワインを注いだ。
「いいワインじゃないか」
「アウラに頼んで、持ってきてもらったんだ。今日は特別だから」
「あいかわらず、ビクトールには優しいよなぁ…」
 今日、散々からかわれた自分としては、少々面白くないけれど。
 そのまま、二人は無言で酒を飲む。
 静かな墓地に、表の歌声が微かに聞こえてくるだけだった。
「あの歌…、お前が教えたのか?」
「ん?ああ…。偶然、歌ってるトコ聞かれちまってさぁ…。彼女が、この歌を是非教えてほ
 しいっていうから…」
「だから、ずっと二人一緒だったのか」
「だって聞かれたら恥ずかしいだろ?」
 俺が歌なんてさぁ…。と呟くビクトールを見て、フリックは笑みを浮かべる。
「でも何で急に、この祭りなんだ?」
「何だろーな…。俺にもよくわかんねー」
 そう言って、グラスに残っていたワインを一気に煽る。
「口では、ノースウィンドゥは無くなった街だ。とか言っていても、やっぱり知っていて欲
 しかったのかもしれないな…。ここに街があった事。ここに人がいた事。記憶の何処かに、
 置いていて欲しかったんだ」
「歌は、心に残るから?」
「そんな感じ。いずれ、ここにいる連中達もそれぞれ別れていくだろ?その先で誰かがこの
 歌を歌う。それを聞いた別の誰かが、この曲を気に入ってくれて歌ってくれるかもしれない。
 …それってすごくないか?俺の知らないところで、誰かがこの歌の存在を知っていてくれて
 るのってさ」
「……そうだな。俺もその歌が聞きたいよ」
「だったら表に行ってこいよ。アンネリーが歌っているぜ」
「そうじゃなくてさ」
 フリックは極上の笑顔でビクトールに言う。
「お前の声で聞きたいんだ」
「……何で?」
「お前の声が好きだから……じゃ駄目か?」
「駄目」
「じゃあ。アンネリーだけ聞かせて俺には何も無しっ。て事はないよな?」
「……ああもうっ。わかったよ。歌えばいいんだろ歌えばっっ」
 ビクトールは観念したのか、ぶっきらぼうに答える。
 それを聞いて、フリックは嬉しそうに拍手した。
「言っとくけど、俺は下手だからな」
「気にしないさ。ビクトールの歌なんだから」
 惚気のようにフリックが言う。
 ビクトールは、それに聞こえなかったフリをして。
 ゆっくりと歌い出した。

 

 

太陽はのぼる
その光は世界を明るく照らす
ミツバチは喜びのうたを歌う
輝くこの世界で

 

春の季節がやってくる
守を緑色に染め
そよかぜを運んでくる

 

クジャクは美しい羽を動かして踊り出す
幸せな空の下で
みんな集まってきて踊り出す
幸せな物の中で

 

ミツバチは歌う
太陽の光を浴びながら踊り出す

 

水は流れる
滑らかに、やさしく流れる
まるでガラスの様に透明な水は
絶えることなく流れ続ける

 

蝶たちは飛んでいる
鳥たちは飛んでいる
つぼみがゆっくりと開いてゆく
みんな一緒に踊り出す
この素晴らしい空の下で

 

太陽は輝いている
そしてすべてが輝いている
太陽の光は
地球を熱して
私達すべてに生命を与える

 

さあ、みんな集まって
一緒に踊って、歌おう

 

水そして花たちも
みんな一緒になって踊り出す

 

ほんの少しの間に
すべては薄暗くなる
すべての場所から光は消える
すべてを見失ってしまう

 

東から西へ
太陽は動いていく
太陽が沈んでしまっても
星はやさしく光り
私達の道を照らしてくれる
私達に道を教えてくれる
太陽のようにあれ
太陽のように力いっぱいに生きて
太陽のようにいつも輝いて

 

幸せいっぱいのこの世界で
みんなが力いっぱいに踊る
子供も、大人も、つぼみも、そして花たちも
幸せいっぱいに踊る

 

輝く太陽を見て
そして、その輝いている光を見て
空に向かって
そしていつも踊っていよう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後。
 フリックは偶然、アンネリーと二人っきりになった。
「よぉ。この間はお疲れ様」
「いえ…。私も楽しかったですから…」
 そう言って、ふんわりと笑う。
「今日は、ビクトールさんと一緒じゃないんですね」
「ああ。アイツなら、リーダーに呼ばれてて……。何?がっかりした?」
 フリックとしては、軽い冗談のつもりで言った言葉。
 だが、アンネリーはその言葉を聞いて、顔を真っ赤にする。
「あっ。あのっ…。私…ピコに呼ばれていますから…」
 そう言って、アンネリーは物凄い勢いで駆け出していった。
 一人その場に残されたフリックに、以前アウラが言っていた言葉が蘇る。

 

『でも、これからどうなるかは、わからないけどね』

 

「……ライバル出現ってワケね…」
 フリックは乾いた笑いを浮かべて。
 アンネリーが走り去った方角を眺めていた。