本当に大切な事は言葉では伝わらないの。
言葉は、お互いに誤解を生んでしまうから。
大切な事は、その瞳を見ればわかる。
貴方の、その瞳を見れば。

 

 

 

 

 

「……何か、寒気のくる文章だな」
そう呟いて、フリックは読んでいた本を閉じた。
以前、強引にニナに押し付けられた少女小説なのだが、ここまで乙女ちっくな文章は読 
んでいて辛くなる。
内容は世間にありがちな、憧れの男の子に片思いをする一途な少女の話だった。
ニナとしては、片思いの少女の気持ちをわかってもらおうと思って、フリックに本を押し
付けてみたのだろう。
暇な時間に負けて、読んでしまった自分が悔しい。

 

 

「大切な事は、言葉では伝わらない……ね」

 

 

何故か妙に心に引っ掛かったフレーズ。
別に感動したとかそういうわけではなく、心の片隅に残る違和感のようなもの。
だけど、その理由が掴めない。
何なんだろうこれは。
モヤモヤとした感じが、心の中を渦巻いている。
フリックは深く溜息をついて目を閉じ、思考の海に沈んでいった。
開け放たれた窓から、穏やかな風が入ってくる。
緩やかな平和な日の午後。
外からは、子供達の賑やかな声が聞こえてくるが、それすら心地良いと思える。
その時、廊下の方から聞きなれた足音がするのに気づいた。
足音はフリックの部屋の前で止まり、ノックもせず勢い良くドアを開けて部屋の中に入っ
てくる。

 

 

「フリック?寝てるのか?」

 

 

例えるとしたら、何と言えばよいのだろう。
まるで、木漏れ日の下で穏やかな眠りにつけそうな、そんな感じの優しい声。
大好きな声。
フリックは目を閉じたまま、その声をただ聞いていた。
「フリック。こら起きろ。リーダーが呼んでるんだぜ」
しかし現実はそう甘くなく、フリックは勢い良く揺さぶられ仕方なく目を開けて、目の前
の人物を睨み付ける。
「ビクトール…。もう少し優しく起こせ」
「優しく起こしてやっただろ?」
笑顔で言ってのけるビクトールに、フリックは諦めた溜息をつく。
まあ、今に始まった事ではないからいいんだけどね。
「それにしても気持ち良さそうに寝ていたな、お前。何かいい夢でも見てたのか?」
「いや別に…」
最初から寝ていたわけではないのだから、夢なんかみるはずがない。
それどころか、考え事をしていて、心の中はモヤモヤとしたままだった。

 

 

ああ。でもあの瞬間だけは…。

 

 

ビクトールが自分に声をかけてきた時は、穏やかな気持ちだったと思う。
ずっとこの声を聞いたまま、まどろんでいたい。
そんな感じがしていた。

 

 

「うわっ。何だ、この真っピンクな本はっっ」
ビクトールの叫びに、フリックは現実に引き戻された。
よく見るとその手には、先程まで読んでいたあの本が握られている。
「…お前、こんな趣味があったのか?」
「ニナが押し付けたんだよ…」
「ああ、それなら納得」
そう言って、面白そうに本の中身を見ていく。
「これ面白いのか?」
「全然。それどころか、悩まされている」
「何だそれ?」
「俺にもよくわからないから、悩んでいるんだ」
「はぁ…」
「その本では、大切な事は言葉なんかでは伝わらないそうだ」
フリックは、ビクトールが来る前まで考えていた疑問を口に出してみた。
「確かに、そんな時があるのも俺は知っているよ。相手と気持ちが通じ合っているんだな
ぁ。て感じる時も、今まで何度もあったし。だけど、何か妙に引っ掛かるんだ」
そう。確かに言葉なんか必要ない時はあった。
だから、この本の言いたい事はわかる。
わかるけど、何故か腑に落ちない。

 

 

 

「俺には、よくわかんねぇけど…」
ビクトールは、本を閉じて言った。
「俺はやっぱり、大切な事はちゃんと言葉で言ってほしいなぁ。って思うぜ」
「そうなのか?」
「でないと、相手が何考えているのか、わかんねぇもん。言葉で伝えてくれないと、理解
しようとしたって、それはこっちの想像でしかないもんな」
フリックは、少し驚いてビクトールを見る。
「うん。確かに言葉って簡単だよ。簡単に使えるから気軽に話せてしまう。何も考えない
言葉で、沢山傷つけてしまう時だってあるだろうし、誤解を生む時だってあるだろうな。
でも、優しい言葉とかお礼の言葉とかも、確かに存在しているんだよ。別に特別の言葉な
んかじゃなくてさ、普通の言葉でもいいんだ。何気ない言葉から、相手の気持ちがわかる
時ってのが、一番多いと思うし」
ゆっくりとビクトールは声を出す。
何気ない言葉。
だけど、その言葉からは確かにビクトールの想いが伝わってきているような気がする。
ああ、そうか。
自分の中のモヤモヤとした感情はこの事だったんだ。
例え相手と心が通じ合ったと想っていても、声に出して言わないとわからない。
もしかしたら、自分の勝手な想い込みではないかと考えてしまう時もあるから。
だから、声を出して言葉を紡ぐ。
そうして自分の心を相手に伝える。

 

 

 

「それにさ、好きな人とか大切な人の言葉って、ものすごく左右されねぇ?ちょっとした
言葉なのにさ、ものすごく心が安らぐ時とかさ」
「ああ。それはわかるな」
それは確かに、先程自分が感じていた事だった。
ビクトールが自分の名前を呼んでいた。
ただそれだけで、安らぎを得たような、あの気持ち。

 

 

「だからさ、やっぱり言葉は大切なんだと思うよ」

 

 

そう言うビクトールの言葉も、とても心地良く聞こえてくる。
そうだな。
言葉は、こんなにも大切な事を伝えてくれるものなんだよな。
「…何笑ってるんだよ、フリック」
少し照れたような感じで、ビクトールはフリックの顔を覗き込む。
見るとフリックは、とても楽しそうに笑っている。
「笑うなよなーっ。言っているこっちだって、結構恥ずかしいんだからな」
「違うよ。違うってば」
それでもフリックは、クスクスと笑っている。
「何かさ、ふと自分はすっごい幸せ者だなー。って実感していたんだよ」
「はぁ?何でいきなり」
「俺は毎日、好きな人の言葉を聞けているんだなー。ってさ」
「へ?好きな…って…」
きょとんとしているビクトールを引き寄せて、フリックは顔を近づける。

 

 

「俺の心を左右させるのは、お前の言葉だけなんだって事だよ」

 

 

 

 

そう聞いて、何かを言おうとしていたビクトールの言葉は、フリックによって塞がれてし
まった。