秋の日は釣瓶落とし。 夏が過ぎ日が暮れる時間が早くなり始めた最近では、夕方になると部屋の電気をつけなく てはいけない程の暗さになる。そんな中、部屋の電気もつけないで自室の真ん中に座り込み、 財布の中身を見ては大きな溜息を吐く千石の姿があった。心なしか、背中に哀愁が漂ってい るようにも見える。
「……金が無い」
千石は絶望的に呟くと、一度数えた千円札をもう一度始めから数え直す。数え直したから と言って増えるワケでもないのだが、数えてしまうのが人間の性というのだろうか。 元々少ない枚数だったのだろう、千円札はすぐに数え終わってしまい、今度は小銭入れを 開けて、その中身を取り出し床に並べてみた。硬貨の合計金額は、五百ミリリットルのペッ トボトルがやっと買えるぐらいだと判明して、千石はますます重い溜息を吐く。 何となく並べられた硬貨の横に、そっと千円札も並べてみたが虚しくなるだけだった。
「無理だっっ!大体バイトもしていない、部活と愛に青春をかけてきた中学生男子に、金が あるはずないんだーっっ!!」
うわーっ、と絶叫を上げると、千石は財布を放り出してそのまま仰向けに転がる。フロー リングの固い床で頭を打ったが、そんな事は気にしない。 今は頭よりも懐が痛い。
「バイトを探すか…。もう部活も行かなくていいし、工事現場とかに行ったらもしかしたら …。ああ、でも中学生って雇ってくれるのかなー?歳を誤魔化すとか?」
ブツブツとうわ言のように、いかにして早く且つ大金を稼げるかを考える。
「でも、もし見つかったら内申やばいよなー。そのまま高等部に上がるとしても、問題起こ したら面倒だし…」
仰向けに飽きたのか、今度はゴロゴロと転がり出した。転がっている拍子に、並べていた 小銭を崩してしまい、慌てて置き上がってまた元の位置に戻す。今は一円一銭でも惜しいの だ。
「……やはり最後の手段に出るしかないか」
床に並べられた全財産を見て千石は決意を固めると、台所で夕飯の用意をしている母親の 元へと向かうべく立ち上がった。 階段を降り台所の前に立つと、気づかれないようにドアの音を立てずに開けて中の様子を 覗う。部屋の中では、母親が忙しなく動いているが、機嫌が悪いとかそのような雰囲気は感 じられない。 やるなら今しかないだろう。 心に愛と勇気を掲げ、千石は薄く開けていたドアを全開にして台所に乗り込んだ。
「お母様っ。話がありますっっ!」 「お金なら無いわよ」
勢い良く乗り込んだが、顔も見ないうちに打ち倒された。
「……何で金の事だって決めつけるんだよ」 「そんな口調で話がある時って、いつもそんな用件だからよ」
ようやく振りかえって息子の顔を見た母親は、持っていたおたまを千石の顔面につきつけ る。千石の母親は、伊達に十四年間息子を育てていたわけではなかった。
「ああもうっ。用件がわかっているなら話は早いっ。お願いします、お金貸してくださいっ」
パンッ、と両手を合わせて拝むが母親は無慈悲だった。
「駄目」 「お小遣い前借でいいからっ」 「お小遣いどころか、お年玉まで前借しているのはどこの誰よ」
確かに、全国大会前にいろいろと入り様だったテニス用品の為に前借はした。
「じゃ、じゃあその次のお年玉前借でいいからっ。お願いしますっ」 「……清純。何でそんなにお金が必要なわけ?」
我が息子の切羽詰った様子に、母親は少し驚く。今、自分の目の前にいる息子は、今まで にないぐらい、男の表情をしていたのだ。
「何に使うかは…言えないけど、これには俺の青春と愛がかかっているんだっ。今やらない と、俺、一生後悔するから…っ」
だからお願いします。と土下座されては、さすがに否とは言えなかった。 何に使うのかはわからないが、息子がここまで熱意を見せるのだから、彼にとってとても 大切な事なのだろう。ならばそれを支援してこそ親というものだ。 いつのまにか成長して…。 少し涙ぐんだ母親は、そっと微笑んで息子に問い掛けた。
「…で、いくら必要なの?」
その言葉に、千石は満面の笑みで答えた。
「六万円」
「……って言った直後に、持っていたおたまで殴られた」 「そりゃ殴るだろーな」
見事な秋晴れが広がる空の下で、千石と亜久津は日課である昼休み屋上デート(千石命名) が繰り広げられていた。
「だってさー、やっぱり一番の最新機種で性能も一番いいヤツが欲しいって思うだろ?せっ かく駅前の電化製品店で特売やってたのにー…」
ゴソゴソと、学生服のポケットに入れたままになっていた広告チラシを取り出して、千石 は呆れている亜久津の眼前に広げて見せる。
「…で、どれだって?」 「これこれ。この銀色のヤツ」
そう言って千石の指が示す先には、先日発売されたばかりのデジカメが大きく掲載されて いた。今出ている機種の中では最高の性能らしく、値段も最高のものだった。しかしこの広 告を出している店がオープン三周年記念と銘打ち、このデジカメが他店のそれよりはかなり の低価格で販売しているのだ。それでも中学生には、とうてい手が出せない価格ではあるが。
「はぁー…やっぱ使い捨てでいくしかないか。せっかくの体育祭だから頑張ろうと思ったの に」 「ていうか、何でそこまで体育祭の写真に拘るんだテメーは?」
側に転がしていた煙草の箱から新しい一本を取り出して口に咥えると、亜久津はふと思い 出したかのように、この間から疑問に思っていた事を聞いてみた。 千石がここまでデジカメに…というよりも写真に拘りだしたのは、来週に控えた体育祭の 準備が始まってからだと記憶している。
「だって体育祭だよ?亜久津とつきあってからの初めての体育祭。一年や二年の思い出もな いし、修学旅行という恋人達の重要イベントすら俺達経験していないもんっ。中学生活最後 の体育祭の思い出を、クリアビジョンで残したいという俺の気持ちわかるよね?」 「わかんねーよ」 「わかってよっ!それに俺がここまで真剣になっているのも亜久津のせいなんだからっ」 「……何でだよ」 「亜久津、体育祭出るって言うからさー…。まさか亜久津が体育祭好きなんて知らなかった よ、俺」
そう。千石がここまで体育祭の写真に拘ったのは、亜久津が体育祭に出るからだ。 亜久津の事だから、きっと体育祭は欠席するのだろうと思っていた千石は、表情には出さ ないものの、嬉々として競技にまで参加意欲を出している亜久津を見て、大変驚いたもので ある。 しかし参加すると言っても、創作ダンスや応援合戦、笑いを取る仮装競争には当然死んで も出るわけがない。亜久津が出るのは体育祭の喧嘩の花道、騎馬戦と棒倒しだ。 亜久津は特に、騎馬戦が大好きだった。
「騎馬戦でさぁ、嬉しそうに人を薙ぎ倒していく亜久津を撮りたいんだよねぇ」
その時の情景を想像したのだろうか、千石はうっとりとした表情で呟く。
「…そんなもの撮って嬉しいのか?」
不本意ながらも自分と千石は、恋人と呼べる間柄になっている。世間の恋人同士は、その 恋人が笑顔で他人に暴力をふるっていく所を撮って喜ぶものだろうか? 亜久津は、やっぱりコイツは何考えているのかわからねぇ。と、まるで宇宙人を見るよう な目付きで千石を見た。
「ていうか騎馬戦はお前も出るんだろ。どうやって撮るつもりなんだ」
確かHRで出場者を決める時に、自分が参戦するや否や、我もと手を挙げたのはこの男で ある。
「ふふふふん。ちゃーんと壇君にお願いしたもんね。亜久津の写真を一枚あげるって言った ら『まかせてくださいですっ!』って良い子のお返事してくれたもん」 「勝手に人の写真で買収行為してんじゃねーよっ」
いつの間にそのような裏取引が成立されていたのだろうか。最早、どこから突っ込めばよ いのかわからず、亜久津は眉を寄せて諦めの溜息を吐くしかなかった。 今のように暴走している千石を止める術はない。 まだ半年ぐらいのつきあいの中で、亜久津はその事を学んでいた。 無駄に抵抗してこれ以上暴走するぐらいなら、写真の一枚や二枚どうでもいいことだ。 亜久津は自分にそう言い聞かせて、咥えたままになっていた煙草に火をつける。その間も、 千石は隣で嬉しそうに体育祭の計画を練っている。 嬉しそうな顔しやがって。 自分と一緒に過ごせるのが、本当に嬉しいと言う表情だ。 そんな表情を見せるから、最終的にはいつも千石の我侭を聞いてしまうのだ。 亜久津は唇の端を上げて、ゆっくりと煙草を吸う。何だかんだ言っても、自分はこの男の 我侭を楽しんでいるというわけだ。
「カメラって三個あれば充分かな?」 「どれだけ撮るつもりなんだっ!」
その我侭も度が過ぎれば文句も言いたくなるものだが。
後編に続く。
■キリリクのお題で『体育祭』なのですが、もう十月終わるよママン…。 お待たせしてしまって申し訳ないです。後編も急いで書きますのでお待ちくださいませ。
…つか体育祭までいけなかった…。