突然部屋に響いた着メロの音で、珍しく机に向かっていた銀河は
顔を上げた。慌てて携帯を探すと、まだ床に放り投げたままの鞄の
中からその音は聞こえてくる。
(誰からだ?)
 首を傾げながら、乱雑な鞄の中を必死に探る。今聞こえている曲
は今月発売されたC‐DRIVEの新曲で、今日ダウンロードして
きたばかりの曲だった。誰の着メロに指定するのか決めかねていた
ので、取り敢えず登録していない電話番号がかかってきたら鳴るよ
うに設定していたのだ。すなわち、この曲が鳴っているという事は、
自分の知らない電話番号からかかってきたという事なのだろう。
 間違い電話か何かだろうか。銀河はやっと鞄の中から二つ折式の
携帯を取り出すと、それを開いてディスプレイを覗いた。やはり知
らない電話番号である。しかしこのまま放置するわけにもいかない
ので、取り敢えず出てみる事にした。どうせ電話代は向こう持ちな
のだ。
 銀河は携帯のボタンを押して、耳に当てた。
「もしもし?」
 そう言うと、電話の向こう側からどこかほっとしたような、嬉し
いような溜息が聞こえてきた。
「…もしもし?」
 一体何なのだろうと訝しげに思ってもう一度声をかけると、電話
の相手はようやく口を開いた。
『……銀河』
 その声を聞いて、銀河の呼吸は一瞬止まってしまった。何故なら
その声はここ数日の間聞いていなくて、あと一週間は絶対に聞けな
い声だと思っていたのだから。
「っ北斗?」
 少し息を詰まらせて、その名前を呼んだ。久し振りに、この名前
を言ったような気がする。
『うん、そうだよ銀河。良かったー、本当に繋がったみたい。元気?
体調とか崩してない?そっちの方はどう?ジュピターは迷惑かけて
ない?』
「え?ちょっと待てっっ。何でお前が電話かけて来られるんだよ。
それに質問は一つずつゆっくりとしろっ。ていうか今何処にいるん
だ?まさかもう帰ってきたのか?」
 銀河は驚きのあまりに、思わず立ち上がってしまった。そしてそ
のまま部屋の中をウロウロと歩き回ってしまう。自分の部屋にいる
のだから何も立って電話をしなくてもいいのだが、銀河の頭の中で
は座るという行動が綺麗に吹き飛んでしまったようだ。
 銀河の驚きの声に反応したのか、北斗が苦笑を吹くませた声で応
える。
『帰ってこられたら良かったんだけどねー。残念ながらまだこっち
にいるよ』
「だったら何でアルクトスから地球に電話がかけられるんだよっ」
 そう。北斗は現在アルクトスにいるのだった。
 別にアルクトスに移住したりとか、アルテアに変わって王様にな
ったとか、そういう理由ではない。ただの里帰りである。地球生ま
れ地球育ちの北斗に里帰りと言うのも変なのだが、大体の所そのよ
うな理由だった。更に率直に言うと、単なる織絵の付き添いである。
圭介の海外レポートの仕事が決定した事と、織絵が新年を迎えたに
も関わらずまだアルテアと会っていなかった事が重なって、北斗の
春休みを利用してアルクトスへと渡っていたのだ。北斗は当初大変
に渋ったのだが、さすがに小学生が一週間以上も一人で過ごすわけ
にもいかないので大人しくアルクトスについて行った。別れ際、ま
るで根性の別れのように銀河に抱きついていた事を思い出す。
 あれから五日。北斗達はまだ帰ってきていない。つまり、北斗は
まだアルクトスにいるはずである。なのに自分の携帯に電話が繋が
ったのは何故だろうか。
『ああ。メテオを使ったんだ』
 銀河の問いに、北斗は簡潔に答えてくれた。
「……はぁ?」
『だからメテオを使ったの』
「………えぇ?」
 しかし銀河は何を言われたのか理解出来なかった。いや、理解出
来ないと言うりも、理解しなくなかったと言うべきか。聞いてはい
けないものを聞いてしまったような気がして、脳がその発言内容を
拒否しているとしか思えない。しかしそんな銀河の心情を無視して、
北斗はその先を続けて説明してくれる。
『ほら、まだアルクトスと地球の星間通信ってGEARでしか出来
ないだろ?だからメテオにお願いして、一度GEARに回線を繋い
だ後、銀河の携帯に繋げるようにしたんだよ』
「メテオ…って、何でメテオが個人理由で使えるんだよ……」
『ほら、一応僕もアルクトス王家の血を引いているしね。僕の声紋
にも反応してくれるみたいなんだよ。だから、母さんやアルテアさ
んの目を盗んでこっそりと行動を起こしてみました』
 起こすな。実行するなと銀河は突っ込みたかった。しかし、相手
が遠い遠い惑星の上にいるので、その行動は叶わない。それ以前に
メテオに対して、何も北斗にまで反応しなくても良いのだと言いた
かった。持たせてはいけない奴に、無駄な権力を持たせてしまった
ような気がするのは自分だけであろうか。銀河は脱力して、そのま
まベッドの上に倒れ込んだ。口から溜息が出てしまうのも仕方ない
だろう。一瞬、この電話代は一体誰が払うのだろうかとも考えたが、
どちらにしろ自分が払う事だけは無いだろうと思い、銀河はこのま
ま北斗と会話する事に決めた。人類初の星間電話の開始である。
『どうしたの銀河。何か疲れているみたいだね』
「疲れてるんじゃなくて、呆れているんだよ」
『何で呆れているわけ?』
「……きっとお前に言っても一生理解出来ないと思うから、絶対に
言わねぇ」
『何だよそれー。僕は銀河みたいに理解力が乏しくないよ』
「誰が理解力に乏しいんだっっ」
 人類初の星間電話が、こんな無駄な会話に費やされていると知っ
たら、世の偉人達は泣き崩れる事であろう。しかし世の中の偉人が
どう思おうと二人の知った事ではないので、会話はそのまま続けら
れる。
「でも、マジでどうしたんだよ急に。メテオを使うほど、何か急用
でもあったのか?」
『うん。僕にとっては一大事な事だったから』
 北斗の真剣な声に、銀河は驚いた。余程、大事な用件でもあるの
だろう。
「何だよ。どうしたんだよ北斗」
『……銀河』
「おうっ」
『もっと、何か喋って』
「……は?」
 少しの間を空けて、銀河は聞きなおした。
「お前何言って…」
『声をもっと聞かせてほしいんだ、銀河。その為に電話したんだ』
「北斗…?」
『駄目…かな』
 駄目も何も、もう既に会話は始まっており、声だって聞いている
状態ではなかろうか。
「もう喋っているじゃねーか」
『うん、そうだね。でも、もっと聞きたい。銀河の声を、もっと、
ずっと聞いていたいんだ』
 少し低めの声で、北斗はゆっくりと言う。携帯越しに聞くその声
は、まるで耳元で囁かれているようで、何だか恥ずかしくなってく
る。
「なっ…何言ってんだよお前っ」
『五日間…』
「うん?」
『五日間、銀河の声を聞いていなかったから、何だか我慢の限界が
きたみたいでさ。何だろう、まるで禁断症状みたいな気分って言う
のかな。銀河の声が聞きたくて聞きたくて。銀河に会いたくて。い
てもたってもいられなくて、思わずメテオを動かして電話してしま
ったんだ』
 その言葉を聞いた瞬間、銀河の周囲から音が消えたような気がし
た。下の部屋で騒ぐ家族の声も、道路を走っている車の音も何もか
も全てが消え去り、北斗の声だけが銀河の耳に届く。まるで宇宙空
間の中に、二人きりで放り出されたような感覚に似ている。
「ばっ…馬鹿野郎。いきなり何言いやがるっ」
『だって本当の事だから』
 少し笑ったような感じの北斗の声。五日ぶりに聞く、その声。
 何故だろう。今更ながら、それがとても嬉しいと思えてきた。
『銀河に、会いたいよ』
「北斗…」
『アルテアさんから凰牙を奪いとってさ、今すぐ地球に帰りたいぐ
らいに会いたい。でもちょっと今、いろいろと家族会議が始まって
いてさ、帰るに帰れない状態だから…。せめて声だけでも聞きたか
ったんだ』
 アルクトスが復興に向かっている中とはいえ、やはりいろいろと
問題は出てくるものだ。一応、王家の一員である北斗にもアルクト
スに滞在している限り、何かしらの話し合いには出席させられるの
だった。でなければ、今頃本当に凰牙を奪いとって地球に帰って来
ていただろう。
「……で?俺の声を聞いてどう思った?」
『凄く元気が出た。体の中が、こう暖かくなっていく感じ。よっぽ
ど銀河に飢えていたんだなぁ…僕』
「何やらしい言い方してんだっっ」
『えー?全然やらしくないよー。そう感じる銀河の方がやらしいん
じゃないの?』
「…きるぞ」
『あーーーっっごめんなさい。僕が一番やらしいです。だからきら
ないでっ』
 携帯のボタンに振れた指を、北斗の叫びが聞こえてきたので止め
た。余程きられたくなかったのだろう、その声は真剣そのものだっ
た。
『もう…。銀河ってば、今本気できろうとしただろ?』
「お前が変な事言うからだよ」
『…はい、ごめんなさい』
 小さくなっていく北斗の声に、銀河は思わず笑ってしまった。そ
の笑い声を聞いて、北斗も笑う。惑星を超えて、二人の笑い声が重
なった。
『はー…。何だか今久し振りに笑ったような気がする』
「どういう意味だ?」
『んー…何て言えばいいのかな。こっちに来てからも笑ってはいる
んだけどね、何か物足りなかったんだ。スバルといても楽しいし、
アルテアさんといても楽しかったよ。でもね、何かが足りなかった
んだ。僕の隣がこの五日間ずっと、空っぽだったから』
「……北斗」
『駄目なんだ、僕。もう銀河がいないと、心から笑えないような気
がする。ううん、絶対にそうなんだ。銀河がいないと、駄目なんだ』
 北斗の告白に、銀河は何も言えなかった。何故なら、銀河自信も
少しはそう思っていた所があったからだ。
 側にいないと駄目になってしまう。
 電童のパイロットだからだろうか。それとも、もっと別の理由だ
からだろうか。
 銀河は少し苦笑して、ゆっくりと口を開いた。
「俺もだよ、北斗」
『え…?』
「お前がいないと、何か寂しいや」
 この五日間、気がついたら北斗の部屋を眺めている自分がいた。
 だから。
「電話、かけてきてくれてありがと…な」
 それが銀河の本心。
 少々照れくさかったが、素直に伝えられたその言葉に銀河は満足
だった。しかし、何故か先ほどから北斗が無言なのである。もしか
して変な事でも言っただろうか。いや、言っている内容からすれば、
北斗の方が言っている内容は変である。
「北斗?」
『……る』
「え?」
『僕、やっぱり帰る』
「はぁっ?」
『今すぐ地球に帰るっ。待っていて銀河。もう家族会議なんかパス
して、今から凰牙を奪い取ってくるよっっっ』
「待てーーっっっ!落ちつけ北斗――――っっっっ」
『だって銀河がっっ、銀河がそんな事言っているのに帰らないなん
て男じゃないよっ』
「男じゃなくてもいいから、少し冷静になれバカっっ」
『何言ってんの銀河っ。男でなくなったらこの先銀河を満足させら
れな…』
「阿呆かーーーーっっっっ!!!」
 先程までの良い雰囲気も一瞬にして掻き消えてしまった。
 結局その後、銀河の説得と異変に気づいてメテオルームに駆けつ
けたアルテア達の努力により、北斗の凰牙強奪事件は回避されたの
である。北斗は予定通りに織絵と帰国するらしい。
 取り敢えず北斗が目の前に姿を見せた瞬間、真っ先に殴ろうと銀
河は心に決め、その帰りを待つ事にした。その表情は、何処か楽し
そうに見える。












 後日談。
 一ヶ月後、GEARに見覚えのない電話代の請求書が届いたらし
い。