「ねぇ北斗…。やっぱり手伝おうか?」 「駄目だよ母さんっ。これは絶対に僕達だけで作るんだから」 「そうですよおば様っ。これだけは絶対に譲れません」 「…というわけなので、申し訳ないがここは僕達に任せてほしい」
織絵の提案を、北斗、エリス、スバルの三人は小麦粉で汚れた手でビシッとつき立てて一 斉に却下する。その姿を見て一瞬驚いた顔を見せたがすぐに苦笑すると、織絵は台所の扉を 閉じて「じゃあ、何かわからない事があったら聞いてね」と一言残して、廊下の奥へと歩い て行った。 織絵が台所から離れたのを確認すると、三人は安堵の溜息を吐きそのまま互いの顔を見合 わせて笑う。
「手伝ってもらうわけにはいかないよね」
だってこれは特別なのだから。
本日は五月五日。雲一つない晴天。 世間では子供の日でありGW最終日でもある今日だが、三人にとってはもっと別の、もっ と特別な日である。 最初に誰が言い出したのかは覚えていないが、その特別な日を祝う為に皆でケーキを焼こ うという話が持ち上がったのはつい先日の事。遊びにきていたスバルも参加表明し、主役に は内緒でこの計画は着々と進行されていた。 が、ここで重大な問題が一つだけあった。 それは三人とも、まともにケーキ作りなどした事が無かったという事だ。 以前、学校で行われた調理実習で作った事はあったが、あれは授業向けの、いわゆる誰に でも出来る簡単なレシピで行われていたし、それすらも役割分担で各々の役割を与えられて いたため、自分が参加していない部分も当然あった。すなわちその部分は未知の領域と言え よう。スバルにいたっては、今までの生活が生活であったため料理すらしたことが無い。 かなり絶望的な三人だが、最終的にはまぁ何とかなるだろうという結論に落ちついた。
「三人寄れば文殊の知恵って言うし」 「そうね。矢だって一本だけでは折れても三本纏めてだと折れないし」
北斗とエリスの、微妙に意味の違う発言を聞いてスバルは「そんなものなのか」と納得し ながら今日という日を迎えた。こうやってアルクトスの人々は、間違った日本語を覚えてい くのだろう。 そして今、草薙家の台所は戦場と化していた。
「…何かさ、上手く泡立たないんだけど…」
とか、
「切り込むように混ぜるって、どうやって混ぜたらいいのよーっ」
とか、
「泡を潰さないように…て、泡ってどこにあるんだ?」
とか、いろいろな困難な場面に遭遇したが、三人は協力し合いこの苦難を乗り越えていっ た。ある意味、ガルファと戦うよりも知力と忍耐と根性を試させられたともいえる。お菓子 作りは格闘技だ。 何とか生地も型に流し込み、後はオーブンにおまかせといった所までくると、三人とも力 尽きたように大きく息を吐いてその場に座り込んだ。
「…後は何が残っていたっけ?」 「えーと…シロップと生クリーム…かな?」 「あ、苺の用意も…」
まだまだ先は長かったが、一番難関である生地作りが終わったので何だか少し楽になる。
「…銀河、喜んでくれるかな」
安心したからだろうか、北斗はぽつりとそんな言葉を呟いた。 その言葉を聞いてエリスとスバルは顔を見合わせたが、直ぐに笑顔になって言葉を続ける。
「喜ぶわよ、絶対に」 「ああ。僕達の気持ちを込めたケーキなんだからな」 「そうか…。うん、そうだね」
三人で一生懸命作ったケーキを見て、銀河はどんな表情をするのだろうか。 きっと物凄く驚いた顔をして、それからきっと満面の笑みを浮かべるのだ。自分たちの大 好きな、あの笑顔で。 そんな姿を想像するだけで、こんなにも心の奥が暖かくなる。 ああ、きっと誕生日というのはこういうものなのだろう。 祝われる者も、祝う者も、皆が幸せだと感じられる日。
「よーしっ、ラストスパートだ。気合い入れて頑張ろうっ」 「おーっっ」
三人は勢い良く立ち上がると、互いの手を叩き合って微笑んだ。 その時、扉を軽くノックする音が三人に聞こえた。
「北斗―、ちょっといいかしら?」
やはり心配になったのだろうか、織絵が再び子供達が占領している台所にやってきたのだ った。気合いを削がれた北斗は、少し眉を寄せると扉の向こうにいる織絵に向かって叫んだ。
「だから手伝いはいいって言っているじゃないか。絶対に、入ってきちゃ駄目だからねっ」
勢い良く叫ばれた織絵は少し驚いたが、仕方が無いといった表情で店で待っている彼の元 へと歩いていった。
「ごめんね銀河君。あの子達、当分出て来ない雰囲気だわ」 「あ、いいよいいよ。俺が約束の時間より早く来たのが悪いんだし」
そう言って笑顔を見せると、織絵に出されたオレンジジュースを口にした。どうも今日の 自分は、頬が緩んでいるみたいだ。それもこれも、北斗達が今必死になって自分へのバース デーケーキを作ってくれているせいだろう。 どうやら本人達は気付いていないようだが、極秘に進められていたケーキ制作は銀河にバ レバレだったようだ。よく考えてみれば、三人が内緒で話し合っている姿を見て、銀河が何 の口出しもしてこなかったというのはおかしかったのだが、当の本人達は必死だったのだろ う、そんな事にも気付かないまま過ごしていた。きっと今現在も、まだバレている事に気づ いていないのだろう。
(だったら、物凄く驚いた顔を見せないとな)
店にまで漂ってきた甘い匂いを嗅いで、銀河は幸せそうに。本当に幸せそうに微笑んだ。 が、次の瞬間響いてきた叫び声と、何かをなぎ倒したかのような騒音を聞いて微笑は一瞬 で消え去る。 織絵も音の方角に心配そうな視線を向けて、ぽつりと呟いた。
「…銀河君。一応胃薬とかいる?」 「ははははははは」
乾いた笑いを浮かべて、銀河は別の意味で驚かされるケーキが出来上がるのではないかと 本気で心配してみたりした。
目の前に置かれたケーキは、普通のケーキだった。 生クリームに苺のデコレーション。どこから見ても普通のケーキだったので、銀河は自分 の心配が杞憂に終わった事に安堵した。
「じゃあ切り取るわねー。やっぱ一番大きいのは銀河の分」
笑顔でケーキを切り分けるエリス。……だが、その手つきに妙に力が込められているよう に見えるのは気のせいだろうか…。
「どうしたの銀河?」 「え?いや何でもない、うん」
先程までの安心した気分は何処かに消え失せて、今銀河は緊張した雰囲気でケーキを眺め ていた。切り分けられて小皿に置かれたケーキは、どこに出しても恥ずかしくないケーキに 見えた。が、あくまで見えただけである。 その小皿を受け取った時に銀河は確信した。これは普通のケーキじゃない。というかケー キでは考えられない重量だった。そして恐る恐るフォークを突き刺すと、信じられない弾力 というか厚みを感じる。そして固い。
「……何だこれ?」 「…ケーキ?」 「疑問系で答えるなよ。何なんだよこのスポンジ。っつか有得ない重さと固さだぞっ」
フォークをケーキに突き立てたまま…恐ろしい事に動かしても微動にしないその状況を 眺めて、銀河は思わず北斗達を問い詰めてしまった。三人は言い難そうに互いの表情を確認 してあったが、やがて意を決意したのか代表として北斗が疑問に答える。
「えとね…そのスポンジって二個分なんだ」 「……はぁ?」 「焼き上がってみたらさ、全然スポンジが膨らまなかったんだよ。だから、もう一個作って みたんだけれどまたこれも膨らまなくってさ」 「でも二つ合わせたらいい感じの高さになるなー…って思って…ね」 「ケーキとは、これぐらいの高さが必要なんだろう?」
北斗の言葉の後をエリスとスバルが引き継ぐ。 つまり、スポンジを二個作ってみたが、どちらも膨らまなくってこのままだと見栄えが悪 いから、二つ足して見栄えを良くしようと…。 外見よりも体積と重量の方を優先にしてほしかったが、今更言っても仕方がないだろう。 ふと見ると、三人が不安気にこちらを見ていた。何だか見えない耳と尻尾が見えるようで、 どうしようかと思う。 ああもう、仕方がないなぁ。 銀河は突き立てたままのフォークを掴むと、そのままケーキに齧り付いた。かなり噛み応 えののあるケーキだったが味は悪くない。むしろ、自分好みの味に近かった。 口についた生クリームを舐めとって、銀河はじっとこちらを見ている三人に向かって笑っ てみせた。
「美味いじゃん、これ」
その一言で、不安気な表情も晴れて皆笑顔に変わる。そしてその表情を見て、銀河もます ます笑みを深める。
「銀河」 「銀河」 「銀河」
北斗達は、居ずまいを正して銀河へと向き合い心を込めてこう言った。
「お誕生日おめでとう」
何て幸せな誕生日だろう。