空には満天の星。
 まるで降るような星空の中には、この宇宙を二つに分けるような星の川と、その両側に位置
 する二つの星。
 織姫と彦星だ。
 今宵は七夕の夜。
 一年に一度、離れ離れになった恋人達が巡り合える運命の日だ。

 

 

 

 

 





「……ったんだけどねぇ…」

 そう呟いて、北斗は空を仰いだ。その視線の先には、重い雲が延々と広がっている。北斗の
 落胆振りを眺めながら、銀河も溜息をつく。

「見事に曇り空だな」
「まぁ、まだ梅雨明けしていないからね…」

 北斗は苦笑しながら、側に置いていたクーラーボックスからペットボトルを取り出し、ト
 レイに乗せていたグラスにその中身を入れる。中身は、織絵特製のアイスティーだ。

「はい銀河」
「ああ、サンキュ」

 梅雨が明けていないとはいえ、もう七月に入った外の気温は暑くすぐに喉が乾く。冷たく冷
 えたアイスティーで喉を潤して、銀河は側にいる北斗に視線を向けた。どうやらまだ諦めき
 れないらしく、部屋から持ってきた天体望遠鏡を覗いているようだ。
 そんなに星空見たかったのだろうか?
 銀河は不思議に思いながら、はて、自分は何故こんな場所にいるはめになったのだろうかと、
 ぼんやりと考える。

 

 

 



 七夕の日、一緒に星空を見よう。と、北斗が言い出したのはいつ頃だっただろうか。最初は
 乗り気ではなかった銀河だが、北斗があまりにも執拗にお願いしてくるので、最終的には銀
 河が折れた。その時の北斗の喜び様は、絶対に他の連中には見せられないほど馬鹿だった。

「で、何処で見るんだよ。乙女がうるさいから、あんまり遠くには行けねーぞ、俺」

 歳の離れた妹の乙女は、銀河が行く所には必ず付いて行こうとする。昔、小学校の遠足に行
 こうとすると、リュックに詰めていた荷物を全て取り出し、自分が入ろうとしたぐらいなの
 だ。夜中に北斗と出かけるなんて言ったら、絶対に泣きながら「乙女も行くのーっっ」と泣
 くだろう。

「ああ、場所は大丈夫。もの凄く近いから」
「何処だよ」
「僕の家」
「はぁっ?」
「ほら、屋上があるでしょ。あそこに天体望遠鏡を置いて見ようと思ってさ。もちろん食べ物
 や飲み物も用意してね」
「へぇ。何か楽しそうだな」

 何だかちょっとしたピクニック気分で、銀河は少し興奮した。最初返事を渋っていた事など、
 すっかり忘れ去っているのだう。

「北斗の家だったら、乙女も連れて行けるしな」

 その言葉を聞いて、北斗は少し動きを止めた。どうしたんだと覗き込むと、何やら複雑そう
 な顔をしている。

「北斗?」
「……乙女ちゃんも…一緒?」
「何だよ。悪いのかよ」

 北斗の言葉に少し銀河はムッとする。

「いや…悪くはないけどさ……。できれば、銀河と二人っきりで見たいかなぁー。何て思った
 りしているんですけど…僕」
「何でだよ。星見るのに、人数なんか関係ないじゃん」
「僕には関係あるの」
「ふーん?」

 銀河には何がなんだかわからなかったが、北斗があまりにも真剣だったので乙女の相手をレ
 オにまかせ、本日七夕の夜に草薙家の屋上にいるのだった。

 

 

 

 

 

 



「なぁ北斗」
「何?銀河」
「お前、何でそんなに七夕の星に拘っているんだよ」

 空になったグラスを手の中で転がしながら、銀河はずっと思っていた疑問を口にした。
 それを聞いて、北斗はまだ未練がましく見ていた天体望遠鏡から顔を上げ、銀河の方に振り
 向く。

「……それは」
「それは?」
「いや…何と言うか……その…」
「何だよっ。ハッキリ言えよな」
「…怒らない?」
「話によっては怒る」
「…………」

 さて、どうしようかと北斗は考え込んだが、これ以上言い淀んでいると、銀河は怒って家に
 帰ってしまうかもしれない。いや、帰るだろう絶対に。
 北斗は諦めたように溜息をつくと、大人しく白状した。

「銀河と、二人っきりで星を見たかったんだ」
「知ってる」
「今日は七夕だし…」
「そうだな」
「………僕の誕生日だし」
「へー……え?」

 一瞬、時が止まった。

「えええええええええええ?お前、今日誕生日だったのかよっっ」
「…うん」
「何でそれを先に言わねーんだよっ。俺何も用意してないっつーか、ああもう」
「そりゃ…言わなかったし」
「だから何で言わないんだよ。俺の時には、いろいろ用意してくれていたのに」

 そう。五月の銀河の誕生日に北斗は、それはそれは凝りに凝った演出で誕生日を祝ってくれ
 たのだった。その御返しというか、北斗の誕生日にはちゃんとしたプレゼントを用意しよう
 としていただけに、銀河の怒りは激しかった。自分がちゃんと北斗の誕生日を確認しなかっ
 たのも一つの原因ではあるのだが、今は棚上げにしているようだ。

「何でだよ北斗」
「……別に、誕生日を祝ってくれなくても良かったんだ」

 ぽつり、と北斗が呟く。
 その言葉に、銀河は動きを止めた。

「…何でだ?」

 北斗の言葉は、銀河にはよく理解できなかった。誕生日を祝わなくてもよい、と。そう言わ
 れたのはわかったのだが。

「俺からは…祝ってほしくないのか?」

 言葉にして出してみると、胸が痛くなる。目の奥が熱くなって、視界が滲んできた。
 やばい、泣く。
 そう思った瞬間、銀河は自分の体が北斗に抱き込まれているのに気づいた。

「違っ…。そうじゃないんだ」
「じゃあなんだよっ。何で祝わなくてもいい、なんて言うんだよっ」
「御免…。僕の言い方が悪かった…だから泣くな」
「何だよそれ。もう、わかんねーよ…畜生」

 離せよ馬鹿。と銀河が北斗の背中を叩くが、北斗の抱く力はますます強くなる。自分より細
 いこの腕に、どこからこんな力が出てくるのだろうか。

「北斗…」
「我侭…だったんだ、僕の。ただ銀河と一緒に、今日が過ごせたら…っと思って」
「北斗…?」
「祝いの言葉なんかよりも…さ、銀河と二人で七夕の星空を眺める方が、もっともっと幸せだ
 と思って……」
「………」
「御免…銀河」

 銀河は抵抗する事を止め、そのまま大人しく北斗に抱かれていた。深夜の住宅街には、何
の音も無く。痛いぐらいの静寂が二人を包む。

「……北斗」
「…何?銀河」
「お前…馬鹿だな」
「………そうだね」

 その言葉に少し笑って、銀河は下ろしていた両手を北斗の背中に回した。それに応えるかの
 ように、北斗の腕の力も少し強くなる。
 馬鹿、だと思う。自分でも。
 ただ、大好きな人と一緒に過ごしたかっただけなのに、自分の感情を優先してしまって銀河
 を傷つけてしまった。
 最初に言えば良かったのに。
 祝いの言葉なんかよりも、君と過ごせる事が何よりも最高なプレゼントなのだと。

「御免ね銀河。星空が見えなくて、少し焦っていたみたいだ…僕」
「もういいよ。けど何で、そんなに星空に拘るんだよ」

 一緒に過ごすだけだったら、別にこんな場所でなくても良いはずだ。しかも自分に黙って全
 ての用意をしているのも何だかむかつく。

「だって、今日は七夕じゃないか。一年に一度、織姫と彦星が出会える日なんだよ。そんな二
 人を銀河と一緒に見られたら、きっと幸せだろうなぁ…って」
「……それだけか?」
「……うん。怒った?」

 怒るというよりも、呆れた。
 ようするに、北斗の脳内では少女漫画のような乙女的展開がなされていたのだ。
 満天の星空。一年に一度出会う恋人達。そしてそれを眺める、北斗と銀河。
 恥ずかしい奴だとは思っていたが、ここまで恥ずかしい奴だとは思わなかった。
 でもまあ。
 嫌な気分ではないな、と銀河は思う。黙っていた事にはまだ腹が立つけれど、結局は許して
 しまうのだ。
 銀河は空を見上げた。まだ重い雲が広がっており、恋人達の星は見えない。
 でも、いいんじゃないかな。
 星が見えなくても、きっと空の上で恋人達は仲良くしているのだろうし、自分達も幸せにな
 れるだろうから。
 だから、別にいいんじゃないかな。

「……銀河?」

 先程から無言の銀河を心配してか、北斗が恐る恐る声をかける。心の中では、ああどうしよ
 う、嫌われたかもしれないと泣きそうになっていた。今度からは、ポエマーな行動は控えよ
 うと自戒も立てて見る。いつまでそれが守られるかはわからないが。

「北斗」
「はいっ」

 声をかけられて北斗は腕の力を緩めて、銀河と向き合った。その顔を見てみると、怒ってい
 るどころか、何だか楽しそうに笑っている。

「銀河?」
「幸せになろうな、北斗」

 そう言って銀河は楽しそうに、北斗にしがみついた。
 何がなんだかわからない北斗は少し混乱したが、どうやら怒っていないらしいのと、銀河か
 ら抱きついているという現実に幸せを感じ、神様ありがとう、と心の中で絶叫してみた。
 それに何だか先程の銀河の言葉が、何だかとても嬉しくて嬉しくて。
 北斗は先程までの心の葛藤など全て忘れ去り、こんな幸せな誕生日はないと自我自讃した。


 

 

 

 

 



 星が見えなくても、道標がなくても。
 貴方が側にいてくれるだけで、こんなにも簡単に幸せになれるのです。