「だからね、付き合ってくれるだけでいいの。付き合っていくうちに、私の事とかわかって
 いくと思うから…」
 
 声が聞こえて、俺の意識は急に覚醒した。
 寝起きの直後特有の、自分の居場所が一体何処なのか把握できない状体で、暫くの間ぼん
 やりと目の前の風景を眺めて見た。やけに視線が高い。視線の先に写る校舎の窓は二階で
 はないだろうか。その時、また自分の位置する下の方から声が聞こえた。先程、心地良い
 眠りから叩き起こされた声だ。そしてやっと今自分が何処にいるのか、どんな状況にいる
 のか理解できた。
 ここは、特別校舎の裏にある巨木の上だった。
 この木は樹齢何十年だか何百年だかわからないが、この学校の中で一番大きな木だ。
 登るにしてもちょっとしたコツが必要で、今の所この学校では俺ぐらいしかこの木に登れ
 る奴はいないだろう。そんなワケで、この場所は俺のちょっとした秘密基地というか避難
 場所になっている。
「……ね。だからいいでしょ?」
 また声が聞こえたので、視線を自分の真下へと移す。見るとそこには、見覚えのある顔が
 二つ見える。
 一人は六年生の桜木加奈子と言う女子生徒。この学校の児童会長をしているので、よく朝
 礼とかで見かける顔だ。それに学年は違うが、学内でトップに入るぐらいの美少女だって、
 クラスの誰かが噂していたのを覚えている。
 そしてもう一人。こちらの方は同じ学年の生徒だった。同じクラスになった事はないが、
 その派手な容姿のせいで知らない者は誰もいない。鮮やかな金髪が、きらきら光っている。
 名前は確か……。そうだ。
 石田ヤマト、だ。
 ハーフだとかクォータだとか、女子がやけに騒いでいたっけ。しかし確かに騒がれている
 だけの容姿をしているようで、男の自分から見ても見惚れるような顔だ。
 でも何だか、何処となく人形のような感じもするけれど。
 しかし、一体この状況をどうしたら良いんだろうか。
 少し寝ている間に、真下で告白場面を展開されてしまっては、出るに出れない状態ではな
 いか。それに今ここで気づかれたら、最初からここにいたにも関わらず、覗き魔のレッテ
 ルを貼られてしまうのは目に見えている。
 一番良い方法は、このまま気付かれずに二人が立ち去ってくれるのを待つ事だ。
 頼むから早く終わってくれ。そんな美人に告白されているんだから、石田もすんなり了解
 して二人仲良く立ち去ってくれよぉ。
 心の叫びも虚しく、石田は相変わらず無言のままで立っている。おかげで、桜木さんも困
 惑しているのが上にいてもよくわかる。こういう美形に黙り込まれると、妙な迫力がある
 もんな。
 それにしても何で、石田の奴は何も言わないんだろう。
 普通の男なら、こんな美人に告白されたら興味はなくても少しは嬉しいものなのに。
 でも。
 そう言えば、今迄いろんな女子が石田に告白したけど振られたって聞いたような。
 好みとか煩いのだろうか?それとも何か理由でもあるのかな?
 …何て、俺が人の趣味趣向に口を挟む理由も権利もないんだけどさ。
「………そう言われても、俺は桜木さんと話するの、今日が初めてだし」
 その時、ようやく石田の口が開いた。
 ゆっくりと。少しずつ言葉を紡ぎ出す。
 あ。そう言えば、石田の声をまともに聞いたのって初めてかもしれない。
 クラスは別だし、たまに廊下で見かけても女子の声が大きくて、石田の声なんて全然聞こ
 えないもんな。もう声変わりが始まっているのだろう、少し低めの声。
 桜木さんも、やっと石田が喋ってくれたので安心したようだ。不安気な顔が消えて、何時
 もの優しそうな笑顔になる。
「だからさっきからも言っているけどね、試しに付き合ってみてくれないかなぁ…って。そ
 うすれば、これからいろいろ話が出来るし、私の事もわかっていくと思うし…」
 そう言えば、夢現の中でそんな会話を聞いたような気がする。
 それにしても、試しに付き合ってみるねぇ。
 まあ確かに、四年生と六年生なんて部活が一緒でないと接点もないし、桜木さんの言う事
 もよくわかる。
 でも駄目なんだよな俺、こういうの。試しに付き合うってのが。
 普通の友達関係ならソレもありかなぁ…って思えるけど、何て言うのか、こう恋愛が入っ
 てくると何か違うっていうか…。いや別に、俺がそういう経験した事があるとかじゃなく
 て(そりゃ少しはそれらしきモノもあったけど)よくテレビとか漫画とかで出てくるのを
 見る度に不思議に思えたんだ。
 恋愛って、試しに付き合えるものなのかな?
 それって何か違うくない?
 女の子の必死の気持ちもわかるけど、俺だったら…。
「俺だったら、自分の事を知ってくれている奴と恋愛したいな」
 どきり、とした。
 自分の考えていた事が、石田の口から出てきたのだ。そりゃあ当然、驚くもんだろう。
 俺は早くなる鼓動を抑えて、石田を見つめた。
「え…?だから、それはこれからお互い理解していけば、わかっていくもんじゃ…」
「相手の事がわからないのに、好きになれるのか?」
「っっ私は、石田君の事、よく知っているわよ」
「だけど、俺は桜木さんの事知らない」
 顔を赤くして、桜木さんが声を上げる。何時も優しい表情を浮かべていた姿しか見た事な
 いので、彼女がこんなに感情を剥き出ししているのは初めての光景だった。
 暫くの間お互い無言だったが、ふと石田が声を出す。
「…それに悪いけど、今は誰とも付き合う気がないし、そういった事に興味も持てないんだ」
「そんなの付き合ってみなければ、わからないじゃないっ」
「だから付き合う気がないんだって…」
 何だか段々と不毛な展開になってきている。ていうか石田口悪すぎ。もう少し言い様とか
 あるんじゃないのか?それに桜木さんも、そこまで剥きにならなくても良いと思う。何だ
 かどっちにも同情出来るし、どっちにも非があるよな。
 さてと。
 如何しようかなぁ。
 このままだと、金曜特番女の闘いスペシャルのような展開になってしまいそうだ。
 空を仰いで溜息を吐くと、覚悟を決めた。
 ここは一つ、この俺が悪者になってやりましょう。
 そうと決めると、俺は右足のバッシュの紐を緩めて、もう一度木の枝に凭れかかった。
 あくまで自然に…だ。気付かれないようにしないとな。
 ゆっくりと目を閉じて右足を枝から下ろす。少し動かしてみた。
 バッシュが一瞬重く感じられると次の瞬間、右足からゆっくりと離れる。それは万有引力
 の法則通りに、地面へと落下していく。
「きゃっっ何っっ?」
 桜木さんの驚いた声が聞こえてきた。視線を感じる。俺の存在に気付いたみたいだな。
 さてここからが本番だ。俺は大きく欠伸をすると、今目覚めましたという顔をして下の二
 人を見つめる。二人も俺を見ていた。
「………おはようございます」
 取り敢えず何か言った方が良いだろう。寝起きらしく呆けた事を言ってみた。
「……もしかしてずっとそこにいたの?」
 桜木さんの奮えた声が聞こえる。多分、恥ずかしいのと怒りの感情がぐるぐる回っている
 んだうなぁ、と人事のように感じた。罪悪感はあるが、それも見越しての行動だ。男なら
 男らしく腹をくくろう。
「えーと…はい。掃除の時間からいました……」
 申し訳なさそうに言う。
 その言葉を聞くと、桜木さんは顔を真っ赤にして足早に立ち去った。あまりの早さに、俺
 も石田も、ただ呆然とその後姿を見送る事しか出来ない。
 でもまぁ、当初の目的は果たせたから良いかな。何だっけ?終わり良ければ全て良し?
「………助かったよ」
 突然、声が聞こえた。見ると、石田がこちらを向いて少し苦笑している。
 あ、こんな顔もするんだ。
「…でも、俺何かしたっけ?」
 惚けてみた。だって俺は、今の今迄眠っていたのだから。
「お前が知らなくても、こっちは助かったんだ。素直に礼を言われていろ」
「ふーん。良くわかんねーけど、石田もいろいろ大変なんだなぁ」
「………何で知っているんだ?」
「はぁ?」
「俺の名前」
 心底不思議そうに、石田は俺を見上げている。
 何でって…そりゃあ。
「…この学校で、石田を知らない奴いないと思うけど?」
 何しろこの容姿なのだ。こんなに目立つのに、知らない奴がいる方がおかしい。
「そっか…。そんなもんなのか」
 俺の説明を聞いて、石田は真面目に納得している。
 うわっ。もしかして本気?
 しかしその表情は真剣そのもので、本当に俺が名前を知っていた事に驚いていたようだ。
 何時もは遠目から、その無表情な顔しか見ていなかったから気付かなかったけど、コイツ
 面白いかも。
 人形みたいだと思っていた顔も、今は歳相応に見える。
 ふと、思った。
 石田ってもしかして、只、感情表現が下手なだけではなかろうか。
 そう考えれば、先程の口の悪さも納得出来る。何時もの無表情も。
 何だかワクワクしてきた。俺、コイツと友達になりたいって思っている。
「…何笑っているんだ、八神?」
「え?俺、笑っていたか?」
「ああ」
 そう言って石田も笑う。女の子が見れば夢中になってしまうだろう、その表情。
 アレ?待てよ。確か今さっき石田の奴…。
「石田っ。今、八神って言ったか?」
「?言ったけど…それがどうした」
「何で俺の名前知ってんの?」
 何処かで聞いたような会話だ。石田もそう思ったのだろう、一瞬目を見開くと、次の瞬間
 爆笑しやがった。
 俺はと言えば、突然笑い出すなんて失礼な奴だなぁ、と思いもしたが、石田が大口開けて
 笑っているという世にも奇妙な光景が強烈で、呆然としていた。
「……っっっ悪い。いやまさか、お前がそう言うなんてさ…」
 笑いを堪えながら、石田が必死に言葉を紡ぐ。
 そんなに笑える内容だっただろうか。案外、コイツの笑いのポイントって低いんじゃない
 か?
「八神。お前が俺に言ったセリフそのままお前に返すよ」
「え?」
「この学校で、八神の事を知らない奴はいないよ」
 そう言ってまた少し笑うと、石田は俺に背を向けて歩き出した。
 俺は暫くの間ぼんやりとしていたが、我に返って立ち去る石田の後ろ姿を見つめた。
 何か言わないと。
 でも何を言えば良いんだろう。
 だけど、このままで終わってしまったら何だか駄目なような気がする。
 俺は少し深呼吸して、大きな声で呼んだ。アイツの名前を。
「ヤマトっっっ」
 立ち止まって、こちらに降り返る。ああ、驚いているみたいだな。まぁ当然だろうけど。
 しかし俺はそんな事を一切無視して、満面の笑みを浮かべて言ってやった。
 これは宣戦布告だ。
 だって気になってしまったのだから。石田ヤマトと言う存在が。
「またな、ヤマトっ」
 だから、また今度。
 終わりじゃなくて、続きを求める言葉だ。
 石田は暫く俺を見つめていたが、少し苦笑すると右手を上げた。
「ああ。またな、太一っ」
 その言葉が。
 何だかとても嬉しくて、俺はずっと笑っていた。





 

 




 
 小学四年生のある日。
 これが俺とヤマトの初めての出会いだった。