季節は秋。
 十月の中旬に行われる学園祭の為に、ここお台場中学はとてつもない熱気に包まれていた。
 ここの学園祭は三日間連続で行われ、初日に体育祭。残りの二日で文化祭が行われるのだ。
 生徒達の自主性にまかせているこの校風では、自然とお祭り騒ぎに力が入り、毎年この時 
 期になると各組とも、まるで修羅場中の漫画家のような異様な気迫を漂わせている。
 そんな中、もちろん太一達の組も例外でなく、日曜だと言うのに数人の生徒達が自主登校
 をして、組の出し物である舞台の衣装合わせをしていた。
「八神君、凄い似合ってる」
「へへへ、そうか?」
「うん。帽子も凄く可愛い」
「そりゃあ、私達が一生懸命作ったんですもの。可愛くて当然」
「なぁ、ヤマトは?」
「今、着替えの最終段階。もうすぐ終わると思うわ」
 数人の女子に囲まれながら、太一は別室で着替えさせられているヤマトの事を考えていた。
 事前まで、死ぬほど嫌がっていた姿を見ていただけに、ちゃんと着替えをしているのか不      
 安である。
 逃げ出していなければいいけど。
 太一は苦笑しながら、自分が身に纏っている衣装をしげしげと眺めた。
 クラスの女子が一週間かけて作っただけあって、なかなかの出来である。衣装もだが、こ 
 の小道具でもある帽子には感動した。
 その時、こちらに向かって走ってくる足音が聞こえたと同時に、教室の扉が勢い良く開か 
 れた。
「石田ヤマト君の着替え、只今終了いたしましたっっ」
 扉を開けた一人の女子が叫ぶと同時に、教室の中にいた女子が一斉に歓声をあげた。
「うわぁっ。急いで見に行かないとっっ」
「カメラ持った?」
「ちょっと待ってよぉぉぉ」
「ほら八神君もっっ。相手役がいないと、何も始まらないじゃない」
「え…?ああ……」
 女子の勢いに戸惑っていた太一だが、連行されるように別の教室へと足を向けた。
 廊下で何人かの生徒ともすれ違ったが、皆驚いてこちらを見てくる。
 まぁ、こんな格好していたら普通驚くよなぁ。
 そんな事を考えていたら、何時の間にか目的地である教室の前に着いていた。
「石田くーん。入るわよー」
 扉をノックして声をかけると、後に待機していた女子達が一斉にカメラを手に持った。
 一種異様な雰囲気が、太一達を取り巻いている。
「お邪魔しまーす」
「うわっ待てっ入るなっっっっ」
「もう遅いでーす」
 中からヤマトの制止の声が聞こえてきたが時既に遅く、教室の扉は無常にも大きく開かれ
 た後だった。
 中にいたのは数人の女子生徒と、そして…。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ石田君綺麗っっ」
「最高―っっ」
「やっぱ私達の目に狂いは無かったわっっ。これで優勝は間違いなしよっ」
「ヤマト君、写真取るよー」
 そこにいたのは、まぎれもなく石田ヤマト本人であった。
 しかし太一同様に、舞台衣装を着せられているヤマトの姿は、一目見ただけでは誰とも判
 別がつかない程の魅惑の変身をしていたのである。
 白を強調とした衣装。見ているだけで重そうな装飾具。そして地毛と同じ色の長めのウッ
 イグをつけたヤマトは何処からどう見ても…。
「すっげー美少女」
「言うなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
 そう。美少女なのである。つまりは女装。元の作りが整っている分だけに、ヤマトのその
 姿は嫌味な程によく似合っていた。
「動かないでよ石田君」
「そうよー。せっかく苦労して衣装着せたんだからー」
「何言ってるんだ。もう採寸合わせは済んだんだから、俺はもう着替えるっ」
 しかし中身はやはり石田ヤマトなので、かなりガラの悪い美少女である。知らずに声でも
 かけたら、一瞬にして殺されるであろう。
「ほらほら。相手役もいるんだし、並んでみせてよー」
「記念写真も撮るから」
「八神君。石田君の横に並んでー」
「え?いいけど…」
 そう言って、ほてほてとヤマトの横に並ぶと、何故か女子から歓声が上がった。年頃の女
 の子の考える事はよくわからない。
「…こんな格好なんて……末代までの恥じだ……」
「えー?でも似合っているし」
「それが嫌なんだってばっっっ」
 俯いていた顔を上げて太一の方に振り向くと、ヤマトはしげしげと太一のその姿を見つめ
 た。
「…何か、そっちも凄い事になっているな……」
「可愛いだろ、コレ」
 そう言って太一は、自分の衣装をヤマトに自慢気に見せつける。
 太一の衣装は、ヤマトの相手役というだけあって、かなり凝った作りになっている。青を 
 基本としたその衣装とマントは、何処から見ても王子ルックだが、唯一その頭に被ってい
 る帽子だけが異世界を醸し出していた。
「これをさー、こんな感じに深く被るんだって」
 帽子を深く被ると、太一の顔は完全に隠れ、その場所にはまるで狼のような顔が位置して
 いる。
「野獣役だから、最後までこのまんまなんだぜ」
 そう。
 今年の出し物である舞台の題目は『美女と野獣』
 美女役に石田ヤマト。野獣役に八神太一を持ってきた、物凄いキャストである。
 ちなみに何故このようなキャストに決定してしまったかと言うと、公正なるくじ引きの結
 果こうなってしまったのであった。だが、その時何故か女子全員がほくそ笑んでいたのが
 気になる所ではあるが…。
 もちろんヤマトは猛烈に反対したが、女子全員が泣いて縋って煽てて懇願した結果、不承
 不承ながらも了解したのである。人はこれを、抵抗する事を諦めたとも言うが。
「とにかく、俺は着替える」
 これ以上、こんな姿を曝すワケにもいかないので、ヤマトは不満の声を上げる女子達を追
 い出しにかかった。さすがに、女子の前で簡単に着替えるワケにもいかない。
「えー、勿体無いー」
「もう少しだけ…ね。良いでしょー?」
「駄目だっつーの」
 なかなか出ていかない女子達に悪戦苦闘している時に、教室のスピーカーから軽やかな音
 が聞こえてきたと同時に、もの凄い怒声が聞こえてきた。
『コラーッッッ!舞台班の女子―っっっ!!急いで体育館のステージまで来いって言ってい
 るだろーがっっっっ』
 言いたい事だけ言い終わると、何事もなかったように放送が切られた。
 思わず全員、スピーカーの方に視線を向けたまま呆然としている。
「…さっきの声って……委員長?」
「…だよね」
「そう言えば、二時から舞台に集合って……」
 慌てて時計を見ると、既に十五分も回っていた。
「嘘っっ。すっかり忘れていたっっっ」
「でも衣装どうする?」
「着替えぐらい俺達で出来るからさ、早く行った方が良いぜー。でないとまた委員長のゲリ
 ラ放送が流れるぞ」
 太一が笑いながら言うと、女子達は一斉に黙りこみ次の瞬間。
「それだけは嫌―」
 と叫びながら、教室を出て行った。
「御免ね八神君、石田君。衣装は脱いだら、そのまま置いてくれていいからっっ」
 最後の一人がそう言い残すと、扉は勢い良く閉じられた。まるで台風一家のように去って
 行き、取り残された二人は急に教室の静けさに包まれる。
「うーん、何かこういう時の女子ってパワフルだよなー」
 感心して呟くと、太一はヤマトの方に視線を向けた。
 見るとヤマトは既に衣装を脱ぐ作業に取り掛かっており、沢山つけられた装飾具に悪戦苦
 闘をしていた。
「何だ、もう着替えるのか?」
「あったり前だろ?こんなみっともない格好、何時までもしていられるか」
「似合っているのにー」
「言うなっっ」
 本気で嫌がっているヤマトを見て、太一は獣の帽子をもう一度深く被ると、少し作った声
 でヤマトに声をかけた。
「もう。ヤマトは照れ屋なんだからー」
「……何だソレ」
「ガブモンの真似」
 帽子を元に戻すと、太一は笑いながら言った。
「似てない?」
「……全然似てねーよ」
 一瞬困惑したが、太一の笑顔につられてヤマトも笑った。
 暫くの間お互い向かい合って笑っていると、ヤマトは動かしていた手を休め、溜息をつき
 ながら諦めたように言った。
「まぁ、年に一回のお祭りだからな。あんまりムキになる事もないか」
「そうそう。楽しまないと損だって」
「お前は、お祭り好きだもんなー」
「当然っ。何かさー、ワクワクしてこねぇ?」
 本当に嬉しそうに言う太一を見て、ヤマトは自然と笑顔になる。
「ま、ここまで来ちまったし、最後まで頑張りますか」
「でないと困るよ。ヤマト目当ての女性客に、俺達期待しているんだからさ」
「何を期待しているんだか」
「もちろん狙うは総合優勝だからっ。豪華賞品がかかってるし」
 文化祭の出し物には、一般客や生徒達のよる人気投票が毎年行われ、総合優勝の組には生
 徒会から素晴らしい賞品が進呈されるらしい。
「俺じゃなくても、太一が美女役でも良かったんじゃないか?」
「俺?」
 ヤマトの突然の発言に、太一はキョトンとする。しかし次の瞬間、思いっきり爆笑をして
 しまった。
「俺が美女役なんて無理無理だっつーの。そんなのしたら、只の仮装大会だって」
「そうでもないさ」
 少し笑うと、ヤマトはふいに顔を近づけた。
 太一の目の前に、ヤマトの顔がある。
 突然の事に驚く事も忘れて、太一はヤマトの顔をじっと見つめてしまった。
 至近距離で見れば見る程、その容姿は完璧で。
 まるで海の底のような瞳の中に、自分の姿が映し出される。
「太一の方が、よく似合う」
 そう言って、クスリと笑う。
 その笑顔があまりにも綺麗で。
 あまりにも格好良くて。
 太一は、顔を真っ赤にして口をパクパクとさせてしまった。
「でもそうしたらライバル増えそうだしなー。残念だけど諦めるか」
 笑いながら太一から離れると、ヤマトは中断していた着替えを再開した。
 太一の方はと言うと、まだ呆然としており、顔を真っ赤にしたままヤマトを見つめている。
 スルリと白いドレスを脱いだヤマトの体は、程好い筋肉がついており、均整のとれた体を
 太一に見せつけた。
「?どうした、太一?」
 身動きしないでいる太一を不思議に思ったのか、ヤマトは降り返った。
 視線が合うと、ますます太一の顔が赤くなる。
「な、何でもねーよっっ。俺も着替えるんだから、あっち向けって」
「変な奴だな」
 そう言って、また見惚れる笑顔を見せた。
 太一はバクバクと言う心臓を抑えながら、反対方向を向いて着替えを始める。
 何かヤバイ。
 今更ながら気づいてしまったけれど。
 もしかしてヤマトって、すっげー男前?
 衝撃の事実に、太一は激しく動揺してしまった。
 昔から一緒にいたから気づかなかったけど。
 その整えられた容姿に誤魔化されていたけど。
 ヤマトは綺麗以前に、もの凄く格好良いのだ。
 だからと言って、別に自分がうろたえる必要もないのだけれど。
 先程の視線が。
 何故だか、容赦なく太一に絡みついているような気がするのだ。
 別に、気にしなくても良いんだろうけど…さ……。
 でもまだ、自分を見つめているような気がして堪らない。
 太一は何気なくヤマトの方に視線を向けると、思わず絶句してしまった。
 ヤマト上半身裸のまま着替える手を中断して、じっと太一の着替えを見ていたのである。
「……何しているんだ?」
 何故だかわからない羞恥と怒りが込み上げてきて、声を震わせながら尋ねた。
「え…?いや、太一の着替えシーンがあまりにも可愛くて…つい見入ってた」
 悪気も何も感じられない口調で、ヤマトはさらりと言ってのける。
 あっさりそう言われてしまうと、太一は何も文句が言えない。
 それ所か、そんなヤマトの顔ですら思わず見惚れてしまう始末だ。
 コレは本気でヤバイかも…。
 意識の何処かでそんな事を考えながら、太一は被っていた帽子を思いっきりヤマトに投げ
 つけた。